武幸四郎厩舎、ディープインパクトのラストクロップである、ライトクオンタムとともに挑んだ桜花賞は、力を出し切れないまま、掲示板に載ることもできませんでした。
懸念していたスタートはうまく出てくれただけに、なぜ? と首を傾げたくなりますが、初めての阪神コース、18頭立て、揉まれる競馬に馬自身が戸惑ったのかもしれません。結果は結果としてきちんと受け止め、馬も僕自身も、前を向いてまた一から出直しです。
この桜花賞の前日、中山競馬場のメインレース、ニュージーランドTで、一つの区切りとなるJRA通算2万4000回騎乗を達成することができました。
物心ついた頃からジョッキーになりたいと願い、周りも僕がジョッキーになることを当然のこととして受け止め、競馬学校に入学したのが15歳。今でも、記憶から抹消したいと思うほどつらかった(笑)、競馬学校の3年間を経てたどり着いた夢の舞台が、1987年3月1日、阪神4Rのアグネスディクターとのコンビで挑んだレース(2着)でした。
あれから36年……。当時はこんなにたくさんの馬に乗せていただけるとは思ってもいなかったし、この年までジョッキーを続けていられるなんてことは考えもしませんでした。
この間、悩んだり、へこんだり、悔しさに奥歯を噛み締めたり……と、いろんなことがありましたが、すべてが幸せで濃密な時間でした。目指すは、JRA通算5000勝!
まだまだ続くジョッキー人生を、幸せで濃密な時間にしていけたらいいなと考えています。
ただ一つだけ、JRA史上最多となる記録を更新できた今だからこそ、言わせてください。
この先、武豊を超える騎手は現れないだろう――そんな言葉をよく耳にしますが、そんなことはありません。僕にできたんだから、いつか、それを超えるジョッキーが現れると思うし、現れないと日本の競馬は面白くなりません。
簡単なことだとは思いません。でも、野茂英雄さんがアメリカへの道を拓いたように、イチローさんがメジャーリーグの最多安打記録を塗り替えたように、大谷翔平選手が世界を感動させたように、僕を超えるジョッキーも、きっと、出てくるはずです。
そのとき、“武豊の持つこれまでの記録を塗り替える”という比較対象として僕の名前が使われるのであれば、それは僕にとってもうれしいことです。
そして、今週末はいよいよ、2年超の長い時間をかけて生まれ変わった京都競馬場のオープンです。
Weʼll do our best!
皆さん、京都競馬場で会いましょう!
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