慶長五年(1600)九月一五日に天下分け目となった「関ヶ原の合戦」はなかったと――いえば、驚くだろうか。通説が次々に覆される戦国史の中でも新しい論点の一つだ。この問題を検証してみよう。 まずは通説に基づき、美濃大垣城に籠った石田三成が、籠城戦を苦手とする徳川家康をおびき寄せて叩き潰そうとしたあたり…


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