人生に役立つ勝負師の作法  武豊

"四白流星の美男子"と呼ばれたヤエノムテキが亡くなりました。

現役時代、彼に跨ったのは、西浦先生(勝一・現調教師)と岡部さん(幸雄・元騎手)の2人だけ。強い馬がいると、調教でもいいから跨ってみたいと思うのがジョッキーの性。彼とは、ずっとライバル関係にあったからこそ、一度は跨りたかった一頭です。

生涯成績は、23戦8勝。
この内、同じレースで彼と顔を追わせたのは18回もあり、対戦成績は7勝11敗。
僕のパートナーはレースによって違うので、数字を比較することに意味はありませんが、今思い出しても、"またヤエノムテキにやられた"という意識は……結構、ありますね。

初めて競馬場で顔合わせてのは、1988年3月27日に行われたGⅢ「毎日杯」でした。
このレースに勝ったのは、河内さん(洋・現調教師)が乗ったオグリキャップ。

ヤエノムテキは4着で、僕とマイネルフリッセは6着でした。

続く「皐月賞」では、ヤエノムテキが初戴冠。
マイネルフリッセに騎乗した僕は典さん(横山典弘騎手)と2人で失格という不名誉な記録に終わっています。

サクラチヨノオーが勝った「ダービー」では、彼が4着。
初挑戦でコスモアンバーに騎乗した僕は16着。

スーパークリークという最高の友を得た「菊花賞」で雪辱を果たしましたが、ヤエノムテキはその後も、僕にとっては手強いライバルで在り続けました。

ゴール前で1、2着を争ったのは、90年の「安田記念」のときです。
僕のパートナーはオグリキャップ。
ヤエノムテキの手綱は岡部さんに替わっていました。

彼にとって2つ目のタイトルとなった、90年10月28日に行われた「天皇賞・秋」は、鳥肌がたつほど壮絶なレースでした。

優勝は、ヤエノムテキ。
頭差で典さんが騎乗したメジロアルダンが続き、3着は僕とバンブーメモリー。
4着、丸山(勝秀)さんのオサイチジョージ。
5着、菅原(泰英)さんが騎乗したランニングフリー。
6着は、増沢(末夫)さんのオグリキャップ……。
強者たちが揃った中での優勝は、大きな価値がありました。

この年の暮れに行われた「有馬記念」を最後に、オグリキャップとヤエノムテキは引退。
競馬は、メジロマックイーン、メジロライアン、ホワイトストーンらによって新時代に突入していきますが、彼らがいたからこそ今がある――現役ジョッキーである僕らは、それを忘れてはいけません。

今週末は、伝統ある牝馬クラシックの第1弾「桜花賞」が待っています。
僕のパートナーは、後輩、角田晃一厩舎のベルカント。

一頭、ハープスターという怪物がいますが、最後の最後まで、何が起こるかわからないのが競馬です。

ヤエノムテキが「皐月賞」を制したときは、8番人気からの逆襲。
2つ目のタイトル「天皇賞・秋」も、3番人気での戴冠でした。

僕もまた、諦めなければ何かが起こると信じています。

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