プチ鹿島の連載コラム 「すべてのニュースはプロレスである」

先週「プロレス」という言葉がマスコミをにぎわせた。

《女子高校生がマッサージなどのサービスをするいわゆる「JKリフレ」で、女子高生にプロレス技をかけさせて客に胸や下半身を密着させたなどとして、36歳の経営者の男が逮捕された》(日テレNEWS24 )

プロレスごっこによるイジメとか、業界自身のスキャンダルとか、佐々木健介とか、「プロレス」が世の中に引っ張り出されてライトを照らされるのはネガティブな話題の時と相場が決まっている。

鈴木みのる選手はツイッターで「くだらねえ。やったこいつも馬鹿だが、報道する側もどうかしてる。」と叫んだ。命をかけてリングにあがる側からすればこんな時だけプロレスが話題にされるのはやるせないはずだ。

もちろん、未成年に風俗まがいの行為をさせるのは立派な犯罪であり、許すわけにはいかない。

しかし、こういう事件のとき、受け手側のファンはどうあるべきなのか。プロレスの「正しさ」を主張したほうがよいのか?大声で素晴らしさをアピールすべきなのか?

そんなもの、いらない。

プロレスの魅力の一つは非日常の世界、常識からの逃走である。「いかがわしさ」や「胡散臭さ」こそ愛し、味わう。もともとは大人たちが集う空間であった。

プロレスがいくら進化し洗練されたとしても「出自」がそうであるかぎり、その妖しい呪縛からは完全に自由にはなりえない。

考えてみてほしい。そういうジャンルの宿命を引き受けたときに、人はユーモアを獲得するのではないだろうか。

プロレスに漂うペーソスや矛盾を受け止めるからこそ、世間とのギャップも引き受けることができる。自分を笑うこともできる。 でも「プロレスはくだらないなんて思っていない」と心には秘めている。

今回の事件を受け「でも女子プロレスに求めてることもそういうことでしょ?」という色眼鏡に対し、私の知るかぎりムキになって反論しているプロレス潔癖症の人は皆無だった。

むしろニヤリと笑って「5秒間技をかけて2000円というけどプロレスでは5秒間は反則自由だよ」とか「JKリフレで一番人気の技は首四の字固めなの?ローリング・クレイドルは?」とか、酒場で話が尽きないのがプロレス者である。

そして何より女子プロレスが性的な魅力を売りにしている部分があることもあっさり認める。

そのうえで「愛川ゆず季は素晴らしかった。グラビアアイドルからプロレスに転向した時は興味本位で見てたけど次第にプロレスラーとして魅せられた」とすごいものにはしみじみする。そこに男女の壁も団体の区別もない。

間口を広く。すべて引き受けてみせる、まずそこから。

これもまたプロレスで学んだことである。


本日の新着記事を読む