ドランクドラゴン鈴木拓「息子は学校で“炎上の子ども”って言われてます」~自分を捨てる人間力の画像
ドランクドラゴン鈴木拓「息子は学校で“炎上の子ども”って言われてます」~自分を捨てる人間力の画像

「一番いらねーのは、自分なんだなって気がついたんです」

僕は、信念がないのが、信念なんですよ。いくらでも、人に合わせることができる。言うならば、水みたいなもんです。
どんな器にもおさまりますし、かといって、大量の水が、いざ流れたら、とんでもない力になる。まぁ、さっき見てきたブルース・リーのパクりなんですけどね(笑)。

昔は、信念というかプライドみたいなものがあったんです。その力を相手に、そのままぶつけちゃっていた。特に、初めてのゴールデンでのレギュラー番組『はねるのトびら』のときは、メンバーとも衝突しちゃいましたね。ダメな自分を棚にあげて、口論になったりもしました。まぁ、キングコングは、今でも大っ嫌いですけどね(笑)。
ただ、その12年続いた番組が終わるってなったときに、"この後、仕事こねーんじゃないか"って、思いはじめたんです。

正直、その番組で、僕、3か月にいっぺんしか、出番がなかったんですよ。毎週やっている番組なのに。そこで、真ん中も取れないような奴を、自分の番組に使おうと思うような人なんていないだろうなって。
テレビから消えてしまう前に、とにかく今できることはやろうと思って、人に好かれるように、ディレクターさんに気に入られるようになろうって考えたんです。そのとき、一番いらねーのは、"自分"なんだなって気がついたんです。

自分の力なんてたかが知れていますからね。今の時代、"個性を大事にしろ"なんてみんなが言うから、みんなとおれは違うんだって思っちゃっているんですよ。でも、天才なんて、10年に一人いるかいないかなんですから、大体、みんな凡人です。
僕の場合は、『はねるのトびら』で、それを思い知らされましたよ。芸人になりたての頃は、ダウンタウンさんみたいになりたいと思っていましたけど、それだけの力があれば、もうとっくに『はねるのトびら』で、はねているはずですから。

テレビでは、クズ、カス、ゲスって言われていますけど、それで、ディレクターさんが喜んでくれるんで。
僕は番組っていうのは、ディレクターさんのためにあると思っていますから。企画とか台本を考えているのは、ディレクターさんと放送作家さん。そこに、"僕はこういうのがおもしろい"と思うなんて意見はしゃらくせえよって感じでしょう。
そうすれば、信頼してもらえるでしょうし、番組もおもしろくなる。この考えをもっておけば、最終的に僕のためになると思うんですよ。

ただ、教育上は絶対に良くないですね。うちは、息子が2人いるんですけど、"お父さん、炎上はもうやめて"って言われますからね。
ツイッターなんかでよく炎上させているんで、学校で"炎上の子ども"って言われているらしいんです。
でも、"ゆくゆくは、しなくなっていくからもう少し待ってくれ。ただ、これだけは忘れるなよ。炎上するたびに、お前のゲームソフトが増えていく"って言うと、"うーん、わかった。炎上がんばってきてね"って言います。

下の子なんて、テレビのイメージが強すぎて、この前、家帰ったとき、"あっ鈴木だ"って言われましたからね。"お前も鈴木だろ!"と。
芸能人は、人に夢を売る仕事だとは思いますけど、夢は必ず叶うから努力しろなんて言っちゃダメだと思うんですよ。その人は成功したかもしれないけど、その下には、芽が出なかった屍がゴロゴロと横たわっていますから。

それなりの生活をして、それなりに趣味を楽しんで、家族を幸せにすることだって、夢でいいと思うんです。みんなと同じってことを、なに毛嫌いしてんだと。みんなやっていることは安心できることですし、安心ってすごい大事だと思います。
だから、僕は、人生がもしやり直せるなら公務員になりたいですよ。

撮影/弦巻 勝


鈴木拓 すずき・たく

1975年12月7日、神奈川県生まれ。高校を卒業後、お笑い芸人養成所『スクールJCA』に5期生として入所。そこで、塚地武雅と出会いお笑いコンビ『ドランクドラゴン』を結成。02年、『はねるのトびら』のレギュラーに抜擢され、一躍脚光を浴びるが、3か月に1度しか仕事がなく、同じくレギュラーの『ロバート』の山本博と、よく温泉に行っていた。現在は、クズ芸人として、多数のバラエティ番組に出演。また、ブラジリアン柔術の道場に長年通うなど、格闘技にも精通している。

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