大和撫子はやはり世界で人気? 「日本人女性と結婚」した海外のセレブたちの画像
大和撫子はやはり世界で人気? 「日本人女性と結婚」した海外のセレブたちの画像

 半世紀も前から世の男たちの間では、幸せの条件として「日本女性を妻にし、中国人の料理人を雇い、フランスの執事を持つこと」などと、ジョークで語られている。海外のセレブたちもそんな言葉を知るか知らずか、日本女性を見初めて結婚しているのだ。日本の有名美女と結婚した、海外のセレブたちを紹介してみよう。

●ジャン・アレジ(51)&後藤久美子(41)……フランス人F1ドライバー、アレジが1994年に来日した際にファンの集いが開かれ、後藤が花束を渡したのが交際のキッカケ。同年末にアレジと元夫人の離婚が確定的になり、1995年6月に婚約を発表した。1996年8月、後藤からマスコミ各社に「突然で大変驚かれることかと思いますが、私たちに待望の赤ちゃんが誕生します」と手書きのFAXが送られ、すでに事実婚だったことが発覚。現在、3人の子供をもうけているが、正式な婚姻手続きはとらず、事実婚の状態を続けている。

●ミハエル・クルム(45)&伊達公子(45)……クルムはドイツ人レーシングドライバー。交際のキッカケは1994年にクルムがテレビに映っていた伊達公子に一目ぼれしたことだった。テニスプレイヤーの伊達は27歳のときに引退。2001年、31歳でクルムと結婚し、不妊治療を続けていたが、3年たっても妊娠しなかった。その後、治療を続けるか、現役復帰するか迷っていた伊達に、クルムは「僕は子どもと結婚したんじゃなくて、キミコと結婚した」と話したことから、現役復帰を決意。ハードなトレーニングを経て、2008年4月、「カンガルーカップ国際女子オープン」のシングルス予選でコートに戻ってきたという逸話がある。

●スティーブン・セガール(63)&藤谷美也子(68)……17歳で来日して、英語を教えながら、禅や合気会で合気道を学んでいたセガールは、1975年、大阪府十三にある合気道道場の娘、藤谷美也子と結婚し、「天心道場」を設立。長女と長男をもうけたが、1983年にアメリカへ単身で帰国してしまった。1984年、女優のアドリエーン・ラルッサと結婚。しばらく重婚の状態が続いていたが、1986年に藤谷との離婚が成立した。藤谷は女手ひとつで2人の子供を育てながら道場を切り盛りし、その姿は連続テレビ小説『まんてん』(NHK)で宮本信子が演じる女性合気道家のモデルになった。セガールはその後ラルッサと離婚し、女優のケリー・ルブロックと結婚。しかし元ベビーシッターのアリッサ・ウルフの間に子供を作り、ルブロックと離婚後、モンゴル出身の女性と結婚した。

●イヴ・シャンピ(61没)&岸恵子(83)……フランス人映画監督のシャピは、1957年、監督した日仏合作映画『忘れえぬ慕情』の主演女優だった岸と結婚。挙式はフランスで、作家の川端康成が立会人だった。岸はフランスと日本を往復しながら女優を続け、「空飛ぶマダム」と言われていた。1963年に長女、デルフィーヌ=麻衣子・シャンピをもうけたが、1975年に離婚。親権は岸が持った。2015年5月に出演した『徹子の部屋』(テレビ朝日系)で「現在もフランスに住み、2人の孫は14歳と13歳になった」と語っている。

●ミヒャエル・エンデ(65没)&佐藤真理子(不明)……ドイツ人作家のエンデは、1961年に『ジム・ボタンの機関車大旅行』(1974年に日本でアニメ化された)でドイツ児童文学賞を受賞。1977年に初来日して、能・歌舞伎を鑑賞したり、禅僧と対談するなど日本文化に触れた。1985年に前妻が亡くなり、1989年の「エンデ父子展」のため再来日すると、自作『ゆめくい小人』と『はてしない物語(1984年に『ネバーエンディング・ストーリー』として映画化された)』を翻訳した佐藤と結婚した。佐藤はその後も夫の作品『満月の夜の伝説』を翻訳している。

 こうして並べてみると、かつては日本や日本文化が好きな海外の男性が、日本女性を見初めるというパターンが多かったことがわかる。しかし最近は日本というより、その人を好きになった、つまり国籍は関係ない結婚が多くなっているようだ。今は海外も遠いものでもなんでもない。国際結婚は今後、どんどん増えていくだろう。

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