オノ・ヨーコに宍戸錠ほか「黒柳徹子とタメ年」が元気過ぎる理由とは!?の画像
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 少々あぶなっかしいながらも、昨年の紅白では5時間におよぶ長丁場の司会をやり遂げた黒柳徹子(82)。今でも3本のレギュラーを持ち、ライフワークともいえる『徹子の部屋』(テレビ朝日系列)は今年でなんと40周年を迎える。1953年のテレビ放送開始と同時に生み出された日本初のテレビタレントとして、63年間現役を続けている唯一無二の存在だ。しかし、元気なのは黒柳だけではない。芸能界には黒柳と同い年で、まだまだ現役の同級生たちがたくさんいるのだ。

●海老名香葉子……初代林家三平(満54歳没)夫人。海老名みどり(63)、泰葉(54)、林家正蔵(旧こぶ平・53)、二代目林家三平(旧いっ平・45)の母。爆笑王初代三平の死去から30年以上も一門を支える落語界のゴッドマザーである。明るく賑やかな芸風を売りにする林家一門ではあるが、その一方で海老名自身の生い立ちは傷ましく、たいへんな苦労人として知られている。海老名の一家は、昭和20年3月10日の東京大空襲の際に焼夷弾の集中投下の標的となった墨田区本所に住んでおり、父、母、祖母、2人の兄、弟の6人が亡くなっている。静岡県に疎開していたことで難を逃れたものの、孤児となった海老名は父の友人だった三代目三遊亭金馬(故人)に引き取られ、ここで落語界との縁ができたのだった。子どもたちに戦争体験を語り継ぐ活動でもよく知られ、子育てにも一家言を持っている海老名ではあるが、強烈な2人の娘たち、そして落語家としては微妙としか言えない息子たちを見るにつけ、いったいどんな子育てをしていたのかが気になるところだ。

●宍戸錠……本名も宍戸錠。日活黄金期のスター役者として人気を集め、その後もドラマ、バラエティで活躍していた宍戸だが、2006年に心臓の手術を受けてから仕事をセーブするようになり、2010年に長年連れ添った妻が死去して以降は、さらに露出を抑えるようになった。そんな宍戸が世間の注目を浴びたのは、2013年のこと。世田谷区にあった豪邸が全焼してしまったのだ。焼けた自宅の前ですっかり肩を落としてインタビューに答える宍戸の姿はまだ記憶に新しい。しかし、そのとき話題になったのは、宍戸の飼っていた犬の名前が「サダム・フセイン子」だったということだの、自宅全焼後に泊まったのが近所の大人のホテルだっただの、いかにも宍戸らしいネタばかり。家も身の回りのものもすべてを失ってさぞ気落ちし衰えていることだろう、と想像してしまうが、1300人以上の女性を抱いた、と誇る宍戸だけにいまだにアッチのほうは現役で、まだまだ元気に女性を物色してまわっているのだとか。

●草笛光子……昨年のNHK朝の連続テレビ小説『まれ』で主人公の祖母であるパティシエを演じ、続いて今年は大河ドラマの『真田丸』で堺正人(42)演ずる主人公・真田信繁の祖母役を担うなど、65年のキャリアを経た今も最前線の現役で活躍中。松竹歌劇団(SKD)出身。日本のミュージカルの草分け的存在で、世間にブレイクしたのが昭和33年で24才のとき、日本テレビの『光子の窓』の司会者に抜擢されたのがきっかけというのだから、とにかく古い。この『光子の窓』は、日本最初のバラエティ番組とされており、テレビ女優第一号とされる黒柳徹子がある時期からテレビでは司会業のみに専念するようになったことを考えれば、草笛こそまさにテレビの歴史そのものを歩んできた女優といえるだろう。そんな草笛のモットーは「1に筋肉、2に筋肉、3、4が無くて、5に筋肉」。80才を過ぎた今でも筋力トレーニングを欠かさないのだという。もはや草笛のトレードマークとなっている白髪は、60才半ばを過ぎた頃、役作りの都合から試しに髪を染めることを止めてみたのがきっかけなんだとか。

●小林清志……アニメ『ルパン三世』の次元大介でおなじみ。82歳を過ぎた今でも、40年以上続けている次元役はもちろんのこと、『中居正広の金曜日のスマたちへ』(TBSテレビ系列)などの番組ナレーションでも活躍中である。意外にも、小林が声優の世界に入ったのは30歳を過ぎてからと遅い。きっかけは、劇団員時代に得意の英語の能力を買われて、海外ドラマの翻訳を依頼されたことから。依頼主の東北新社の社長から、俳優をやってるんだったら翻訳と主役を両方やってみたらどうか、と誘われたのだ。小林の英語力は筋金入りで、その特技を使って、高校生のときには同世代である高校生向け英語通信教育でベテラン先生の体で偉そうに添削の講師をやったり、日本大学芸術学部に通っていたときには、試験範囲の翻訳を作って印刷し、それを学内で売っていたという。そのときの販売部長が『ドラえもん』のジャイアンことたてかべ和也(満80歳没)だったそうだ。

●オノ・ヨーコ……言わずと知れたジョン・レノン(満40歳没)の未亡人だが、本業は前衛芸術家。パフォーマンスアート、コンセプチュアルアートの先駆者で、その世界ではオノ・ヨーコ自身が大物著名人である。昨今も東京都現代美術館で活動60年を振り返る大規模な回顧展が開催されており評判となった。また、80歳を過ぎた今も音楽活動にも精力的で、2014年にはイギリスの野外ロックフェスティバル「グラストンベリー・フェスティバル」に出演。そのあまりにアレなパフォーマンスが「地上最低のライブ」として世界中でこき下ろされる事態となったが、古くからオノの音楽活動を知るファンたちにとっては、相変わらずのオノ・ヨーコ節に、ある意味で健在ぶりを見せつけられた思いだったという。

 黒柳と同じ1933年生まれは他にも高木ブー、ジャズプレーヤーの渡辺貞夫、劇団四季の浅利慶太、永六輔、若尾文子、平幹二朗などがいる。1933年は、ドイツでヒトラーが政権を握った年で、幼年時代がまさに戦争のただ中だった。戦争と、敗戦後の急激な価値観の変化のなかで多感な時期を送っただけに、個性派揃いのこの世代のしぶとさは筋金入りなのかもしれない。

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