南部虎弾「NHKで30個ネタをやって、オンエアされたのは2つだけ(笑)」~危険に挑む人間力の画像
南部虎弾「NHKで30個ネタをやって、オンエアされたのは2つだけ(笑)」~危険に挑む人間力の画像

 自分たちは、できるだけ危ないネタっていうのを考えてきたんですよ。たとえば、昔、展示場の設置のバイトをしていたんですけど、現場で誰かがドライアイスをペットボトルに入れて放っておいたんですよ。しばらくしてペットボトルが爆発しちゃって、勢いよく飛んだキャップが大工さんに当たった。そしたら、大工さんが骨折しちゃったんです。なんだ、これって思って、家に帰って、大量のドライアイスをペットボトルにつめて、お湯をぶっかけて置いておいたら、ドカーンって爆発するんですよ。そのときは、誰かが通報して、過激派が爆弾を仕掛けたんじゃないかって、自宅に機動隊まで来ちゃいましたね。

 あとは、消火器。これを人間にかけたら、どうなるのかなと思って、とりあえず消火器の会社に電話してみるんです。“もしもし、うちの子どもが、消火器が手にかかっちゃったんです”って言うと、“ちょっとぐらいなら大丈夫ですよ”って言うんです。じゃあ、消火器をかけて真っ白になった状態で、山海塾の踊りをしてみようかなとかね。そういうふうにネタを考えていくんです。

 ただ、ピラニアを飲み込んだときは焦りましたね。昔、人間ポンプおじさんって人がいて、金魚を飲み込んでまた、口から出すっていう芸をしていたんですよ。それを自分もやってみたらできたんですけど、金魚じゃダメだろうと思って、ピラニアを買ってきて、飲み込んでみたんです。そしたら、出てこなくなっちゃって、出てくるのは涙ばかり。4時間くらい後に、リンガーハットでビールを飲んだら、ウッてきて、トイレに駆けこんだら、血だらけのピラニアが出てきたんですよ。

 こんな感じで、みんながやっていないというか、やらないようなことばかりをネタにするから、テレビに呼ばれて、ネタを披露してもほとんど放送されない。昔、NHKに呼ばれたときは、30個ネタをやって、オンエアされたのは2つだけ。たまに、テレビに呼ばれると、だいたい打ち切りが決まっている番組でしたね(笑)。でも、自分たちの目標はテレビではなくて、ステージだったんでね。テレビでは、観客の反応はわからないですけど、ステージだったら直に返ってきますからね。ウケたときはもちろん嬉しいですけど、ウケなかったときは恐い。特に海外は、平気で暴動が起きますからね。

 一度、モントリオールのイベントに呼ばれたときは、自分たちのステージはウケたんですよ。でも、ホテル帰って、テレビをつけたら、さっきまでいた会場が燃えているんですよ。道に止まっていたパトカーは、ひっくり返っていた。それで、スタッフに話を聞いたら、その後に出演する予定だったミュージシャンが、“風邪だから帰る”って途中で、ステージを降りてしまったらしく、ファンが暴動を起こしたっていうんです。そのときに、やっぱりこっちのほうがいいなって思ったんですよね。それだけ、観客から強烈な反応が返ってくるわけですから。

 だから、やっぱりテレビではなくて、ステージなんですよね。それも、できるだけ危険なネタ。でも、若い頃は、欲張りだから他の人生にも憧れましたけどね。お金持ちになって、悠々自適な生活を送ってみたいとかね。でも、理想通りになんて絶対にならないですから。みんな、理想の人生に振り回されているのかなって思いますよね。いい生活をするために、いい学校に行って、いい会社に入って。それなのに、毎朝、満員電車に詰め込まれて、少ない小遣いで酒飲んでは、仕事の愚痴を言ってと。

 やっぱり、自分はやりたいことはやりたいし、やりたくないことはやりたくない。だから、失敗を重ねながら試行錯誤して、自分でネタとか、なにか物を作ってきた人生っていうのが、よかったなと思いますね。

撮影/弦巻 勝


南部虎弾 なんぶ・とらた
1951年7月14日、山形県生まれ。O型。20歳で渡仏し、様々な舞台を観劇し、役者を志す。25歳で劇団『テアトル・エコー』に入所し、その後ダチョウ倶楽部を結成し、脱退後の90年に電撃ネットワークを結成。以後、体を張った過激なパフォーマンスで、日本にとどまらず世界のステージで活躍。還暦を超えたいまなお、精力的に活動を続けている。

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