TOKIO城島茂&山口達也、デビュー前の「壮絶な貧乏時代」の画像
TOKIO城島茂&山口達也、デビュー前の「壮絶な貧乏時代」の画像

 5月14日放送の『ザ!鉄腕!DASH!!』(日本テレビ系)で、TOKIOの城島茂と山口達也が希少生物である幻の深海ザメ「ラブカ」を釣り上げたことが話題となった。今では国民的アイドルグループのメンバーとして、日本中のお茶の間で愛されている二人だが、実はデビュー前には壮絶な貧乏生活を経験していた。

 1991年にSMAPがデビューし、世間の注目を浴び始めていた頃。その裏では、なかなかデビューのできないジャニーズJr.たちの間で、「(俺たち)終わったな」という自嘲を含んだ言葉がよくささやかれていたという。

 そんなジャニーズJr.の中には、当時、光GENJIのバックダンサーとして結成された“平家派”というユニットだったTOKIOの城島、国分太一、山口、V6の坂本昌行、長野博、井ノ原快彦もいた。後にそれぞれのグループで歌手デビューの夢をかなえた六人だが、ジャニーズ事務所でのキャリアは、SMAPメンバーとほぼ変わらない。先にデビューを果たしたSMAPの活躍を見ながら、志半ばで退所してしまう仲間たちも多かった。そんな状況で、山口は悩みながらもギリギリのところで踏みとどまっていたという。

 平家派はすぐになくなってしまい、山口は高校生にして挫折を味わった。アイドル活動をしながらも、仕事がないためガソリンスタンドでアルバイトをしていたそうだ。アイドルの仕事は年に一度ぐらいミュージカルがある程度で、18歳になってからもとにかくアルバイトをした。カメラ店を回ってフィルムを集配する仕事もしていたという。当時はジャニーズの合宿所に住んでいたが、山口は朝になるとスーツを着て、フィルム集配の仕事に出かけていた。

 その後、山口は合宿所を出て一人暮らしをするが、お金がないため冷蔵庫も買えず、ボウルに氷を入れてジュースを冷やしたりしていた。その当時、山口の部屋に行ったことがある松岡は、日当たりはいいが、エアコンもカーテンもなかったため、朝日が暑くて目が覚めたと語っている。

 そんな松岡は、城島、山口、国分の三人が所属するTOKIOの前身グループに入れられた際、年長の三人がなかなかデビューできなかったこともあり、そのグループに入れられた自分までデビューできないのではないかと危惧していたそうだ。特に城島はお金がなく、ちゃんと食事できていなかったようで、とても痩せていた。城島を見た松岡の母親が「(城島に)お米を持っていきなさい」と、松岡に渡したこともあったという。

 確かに、デビュー前の城島は相当な苦労をしていて、栄養失調にもなっている。食べるものがなかったため、夏場に放置されて腐った水炊きを食べたこともあるという。酸っぱいのでおかしいと思いつつも、「ポン酢入れたんかな」と思って食べ、結局吐いたらしい。

 今ではジャニーズで一番の年長グループとして、押しも押されもせぬ活躍をしているTOKIO。しかしその陰には、デビューまでの並々ならぬ苦労があったのだ。

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