風間杜夫「役者として、とにかく人間を豊かに演じる」品格と色気と哀愁漂う人間力の画像
風間杜夫「役者として、とにかく人間を豊かに演じる」品格と色気と哀愁漂う人間力の画像

 8歳のときから子役を始め、将来も役者になることしか考えていなかったんですけど、ちゃんと役者で飯が食えるようになったのは30を過ぎてからですね。映画『蒲田行進曲』で名前を知ってもらい、ドラマ『スチュワーデス物語』で一気に人気者になった。どこに行っても騒がれて悪い気はしませんでしたけど、もういい大人でしたから、特に浮かれることはなかったですね。

■芝居のベースを作ってくれたのは、つかこうへい

 そんな僕の芝居のベースを作ってくれたのが、演出家のつかこうへいさんです。つかさんの劇団が『蒲田行進曲』公開後に解散するまでの7年間、26歳から33歳までいろいろなことを教わりました。とにかく厳しくてね、威張ってましたよ。ダメ出しをされるのは、演技のことではなくて、「人間として底が浅い」とか「生き方が甘い」とか、人間性のことばかり。だから、なおさらダメージが大きかったんですけど、実はつかさんは僕のたった1歳上なんです。「じゃあ、お前はどうなんだ?」と聞きたくもなりましたよ(笑)。でも怒ると、速射砲のように言葉が次から次へと出てくる。そうなると、僕は立ちつくしたまま嵐が過ぎるのを待つしかありませんでした。まあ、突っ掛かっていけない分、バットで殴る夢を何度も見たことがありますけど(笑)。

 ただ、つかさんの演出で嬉しかったのは、役者がどういうセリフを言い、どういう演技をすれば輝くのか、常に考えながら作ってくれるから、舞台上の誰もが人気者になれたんですよ。だから、この人に付いていけば間違いないと思っていましたね。たとえどんなにひどいことを言われても(笑)。つかさんに対するそうした愛憎の念はありましたよね。

 そうした中で役者として学んだのは、とにかく人間を豊かに演じるということです。人間には、いい面から悪い面まで、あらゆるものが詰まっていて、予測がつかないことをするのが当たり前なんだから、一面で捉えてはいけない。どのような役を演じるときでも、常に心掛けるようにしていますね。

■映画『蒲田行進曲』から35年

 今年で映画『蒲田行進曲』から35年が経ち、僕も68歳になりました。これからももちろん役者を続けていくつもりですけど、やりたい役や挑戦したいジャンルは特にないですね。根が怠け者なので、考えたこともありません(笑)。むしろ、人のほうが僕のことをよくわかっているんじゃないですかね。だから、「風間にこんなことをやらせてみよう」と常に言われる存在ではいたいとは思っています。

 たとえば、11月18日公開の映画『こいのわ 婚活クルージング』では、実年齢に近いバツイチの実業家の役を演じています。この映画の柱は広島が県を挙げて取り組んでいる婚活です。社長を解任された実業家が、第二の人生のパートナーを求めて婚活を繰り返す中、最初は言い合いばかりしていた30歳下のヒロインに魅かれ、やがて結ばれる大人のラブコメディですね。

■森繁久彌という人に憧れて…

 僕はサラリーマンをしたことがないので、この役を演じるにあたっては、昔観た森繁久彌さん主演の喜劇映画『社長シリーズ』を参考にしました。もともと森繁さんが演じる社長のような役をやってみたいという気持ちもありましたし。

 というのも、僕はずっと森繁久彌という人に憧れてきたんですよ。人間としてスケールが大きいですし、なかなかのインテリでもある。役者としては、どことなく品があって、色気もある。さらには、哀愁も感じられるんですよね。実際、森繁さんは『品格と色気と哀愁と』という本を書かれているんですが、僕はそのタイトルを座右の銘にしています。いくつになってもこの3つを持っていた森繁さんのような年の取り方をしたい、そんな役者でありたいと考えています。

撮影/弦巻勝

風間杜夫(かざま・もりお)
1949年4月26日、東京都生まれ。東映時代劇等で子役を経験した後、大学時代に演劇活動を本格的に始め、71年に劇団「表現劇場」を結成。映画やドラマにも進出し、日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞した映画『蒲田行進曲』(82年)、ドラマ『スチュワーデス物語』(83年)で一躍注目を浴びる。以降、役者として常に第一線で活躍を続ける一方、落語家の顔も持つ。

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