太田夢莉
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48グループの星たち

太田夢莉「自称“陰キャ”」がNMB48のフロントメンバーに成長した軌跡 1/3

 2019年11月30日、NMB48の太田夢莉が19歳最後の日に卒業した。NMB48の中心メンバーとしてソロコンサート、卒業コンサートまで行えるほどに成長した太田夢莉の足跡を今一度ここで振り返りたい。

■中学生まで前に出ることが苦手だった

 太田夢莉は1999年12月1日に奈良県で生まれた。小学校6年生のときにNMB48の3期オーディションを受けて合格した。本人の言葉を借りれば「合格してしまった」と言うべきか……。歌もダンスもちゃんとできず、ギラギラした意欲もなく、なぜ合格してしまったのかわからなかったという。

 卒業記念フォトエッセイ『青』(幻冬舎)によると受かった理由は「ミステリアスだったから」と書いてあるが、実際には「やる気がなさそうだったから」だったようだ。かつて前田敦子を「センターをやりたくなさそうだったから(センターにした)」というのと少し共通する。

 合格してからは苦労の連続。ダンスのレッスンは追いつかず、同期だけで出られる公演の初日メンバーにも選ばれることもなかった。ただ、NMB48の先輩やファンからはかわいさが認められ、注目はされ続けていた。

 ダンスは同期に追いつくようになっても、MCがなかなかしゃべれない。一人っ子でNMB48に入る前からアニメが好き。目立つこともそんなに好きではなく、休みの日は家でゆっくりしたいという、自称“陰キャ”の夢莉がNMBに入って急に性格が変わるものでもなかった。

 初期の公演MCはそのころの本音がおそらく出ていたのだろうが、人見知りであまりしゃべらず、話すとなると先輩や大人がびっくりするような冷めた発言をしてしまう。ファンにとってはそのアンバランスなところは魅力的だったかもしれないが、アイドルとして王道な感じではなかった。

 前出の『青』によると、2期生の谷川愛梨とよく話すようになってから自分の心が開けるようになったという。高1ぐらいから前向きになりライブも楽しくなり、向上心も芽生えてきた。青春ドラマを地でいくような展開だ。

(文・岡田隆志)

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