それにしても、私たちはなぜ何度も同じ写真を見つめることができるのだろうか。飽きないのはなぜだろうか? 実は、このことは写真の極めて本質的な問題である。哲学者のロラン・バルトの言葉を借りてみよう。彼は、亡き母の姿を写真に求めるも、どの写真も彼の知る母をとらえてはいないと考える。しかし、探し当てたたった一枚の特別な写真には求めていたそれがあった。
それにしても、私たちはなぜ何度も同じ写真を見つめることができるのだろうか。飽きないのはなぜだろうか? 実は、このことは写真の極めて本質的な問題である。哲学者のロラン・バルトの言葉を借りてみよう。彼は、亡き母の姿を写真に求めるも、どの写真も彼の知る母をとらえてはいないと考える。しかし、探し当てたたった一枚の特別な写真には求めていたそれがあった。