キュートな空手家・月井隼南は自分に問いかける「スポーツが大事なのか、命が大事なのか」の画像
月井隼南
ウイズコロナの時代の格闘技を応援する「がんばれ!格闘技」。本来なら、東京オリンピックを終え、東京パラリンピックを迎えようとしていたこの時期。空手フィリピン代表として出場を目指していた月井隼南(つきい・じゅんな)は、手帳に「オリンピックゲームス」記したその日を、大会が延期された東京で、どんな気持ちで迎えたのだろうか。

 空手のフィリピン代表であるはずなのに、今年3月から月井隼南は日本にずっと滞在している。無理もない。世界中で吹き荒れる新型コロナウイルスの猛威に巻き込まれ、アパートを借りている首都マニラに帰りたくても帰れなくなってしまったのだ。

「フィリピンの気候はずっと夏。締め切ったままなので、湿気が高いしカビがはえやすい。家賃は来年1月の分まで払っているので問題ないけど、電気代は払えていないので少し心配(笑)」

 帰国する直前、セルビアに滞在していた月井は「フィリピンに帰る予定で、飛行機のチケットをとっていたのに」と振り返る。

「ザルツブルグで試合をして、次はモロッコの大会に出る予定でした。そのあとフィリピンに戻る予定だったけど、フィリピン行きの飛行機が飛ぶ3日前にセルビアでロックダウンが始まるといわれました。仮にその飛行機に乗れたとしても、マニラに到着したら2週間ほど隔離され、そのあとはどうなるかわからない状況だと聞かされました」

 
 
 
 
 
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There is a scenery that only the challenger can see. I’m not afraid to make mistakes, because my biggest fear is not trying.   変えたい世界がある。 伝えたいものがある。  だから私は"勝ちたい" 無力な自分はもういやだ

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 コロナ禍の中、状況はどんどん変わっていく。結局マニラ行きの飛行機は欠航となったので、月井は「だったら日本に戻るしかない」と埼玉県の実家に身を寄せた。父・新さんは青年海外協力隊としてインド、ニジェール、インドネシア、フィリピンで指導した経験を持つ国際派。とりわけ10年も滞在したフィリピンは妻リリアさんと出会った思い出の地で、月井もマニラ郊外で産声を挙げた。

 3歳で日本に戻り、7歳から空手を始めた。指導者である父と二人三脚で稽古を重ね、小学校6年の時に出場した『全日本少年少女空手道選手権大会』女子個人組手で優勝したのを皮切りに全国大会を次々と制した。中学、高校時代はほとんど負けた記憶がない。

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