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パンチ佐藤 プロ野球時代のテレビに映らなかったベンチ裏のチョンボ

パンチ佐藤 プロ野球時代のテレビに映らなかったベンチ裏のチョンボ

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涙あり!笑いあり!スクープあり!?
お宝写真で綴る あの芸能人「若気のいたり」
第1回 パンチ佐藤 編


プロ野球・オリックスを94年秋に引退、タレントに転身して今年で20年。今では「元気配達人」というキャラクターがすっかり板に付いたパンチ佐藤だが、ここまでの道のりは決して平坦ではなかった。

当時、オリックスの監督だった仰木彬さんから背中を押されて芸能界入りしたパンチ。彼が転身した94年秋から95年といえば野茂英雄が近鉄と決別→単身メジャーリーグ(ドジャース)に乗り込んでいった時期だった。
「“野茂はマスコミには喋らない。どうしたら野茂は喋ってくれるのか?” となり、“それだったら、仰木ジャパン、パ・リーグで一緒だったパンチをレポーターに使え”となり、中村江里子さんとプロ野球ニュースの司会を担当させてもらうことになったんです。1年目から仕事がバンバン来て、順調でした」
と、パンチは述懐する。

その後、俳優ともお笑いタレントとも野球解説者ともつかない中途半端な立ち位置だったが、近所のご婦人の何気ない一言がその後の彼の人生を変えた。
「近所のおばさんが“あなた、パンチさんでしょ? あなたがテレビに出ていると不思議と元気になるわ!”と言われて、オレは枠にハマらずに『元気配達人』でやって行こうと決意したんです」(パンチ)
この事がきっかけで今の地位を確立。その後、10年ほどは順調だったという。

ところがリーマンショック、東日本大震災がおこり、パンチの仕事は激減。約3年間、辛酸を舐めた。
「娘が大学に入った時期だったので、“親としてオレは愚痴を言わない”と決意。
仕事が激減しても昼までゴロゴロしないで朝一番に起き、新聞を読む。娘を見送ってから、体を鍛える。これはプロとして当たり前。
娘が帰って来て、父親が家にいる。それでもソファでゴロゴロしているのはなくて小説を読んだりしている。
娘がバイトに行き、帰ってくる。そうしたら酔っぱらっているのはアリ…とにかく一家の船長として、僕はグッと腕組みをして寒風の海を睨みつけるようにして3年間我慢というか、勉強をしたわけです。まさしく『いざ鎌倉』の精神でした」(パンチ)

その甲斐があって、パンチは知人から次の様な激励を受け、ハッとしたという。
“パンチ君は夕陽に向かって大きな声を出して走って行け。周りに何言われようと、パンチ君が信じた道を夕陽に向かって走って行け! そうしたら、一人また一人と一緒に走ってくれる人がいるから”
 知人からの熱いアドバイスにパンチは己の道をひた走る大事さを悟ったという。
「今は“(僕が)こうなればいいなあ”と思うと周りが動いてくれる。周りに感謝です。僕は僕のスタンスを変えなくて良かった」(パンチ)

現在、キー局のレギュラーはないもののバラエティ番組には欠かす事が出来ない存在にあるパンチ。勿論、活動の幅はキー局に限定したわけではない。不定期レギュラーのテレビ岩手『5きげんテレビ』では「東北を元気にする」という企画で活躍。岩手ではパンチの存在を知らない人はいない――と言っても過言ではないのだ。

テレビ以外には講演やCMキャラクター…そして15年からはBCリーグ『武蔵ヒートベアーズ』の宣伝本部長に抜擢。野球界に恩返しをする機会に恵まれたのだ。
「暑いぜ(埼玉)熊谷」がチーム名称の由来。熊谷のクマと酷暑の名所からヒート…何ともシャレ気のあるチーム名だが、パンチは真面目に宣伝活動に勤しんでいるのだ。「暑い熊谷をさらに熱くする人物として僕が選ばれた。先日、熊谷市役所へ挨拶に行ったのです。すると市長室にたくさんのカメラマンが来てくれた。市長さんは“こんなの初めてだ”とビックリされていました」(パンチ)

現役
ヒートベアーズのマーク 「暑いぜ!熊谷」


隣町の鴻巣市役所ではスポーツ推進課に出向くはずが「30分なら」と市長が登場。しかも市長の大親友の娘がパンチの歯を治療している歯科医である事が判明。ここでも大いに盛り上がったという。パンチが語る。
「簡単に言うと西武ライオンズもヒートベアーズも同じプロ野球ですが、ライオンズの場合は1億、2億…頑張ればお金をもらえて、ベンツも買えてアナウンサーとも結婚できる…。

一方、ヒートベアーズはお金があまりもらえないプロ野球。だからここで満足してもらっては困る。ライオンズに入団するために這い上がって行くためのプロ野球なのです」

同じプロでも知名度・収入面では雲泥の差。やはり、選手はより高い志を持ってプレーに臨んでもらいたい――元・オリックスでプレーした選手だけに説得力のある言葉だ。

さらにパンチはヒートベアーズの存在意義を次の様に話す。
「ファンサービスは当然しますが、BCリーグは熊谷市が埼玉県に社会貢献するというのが軸。最近、頻発している凄惨な事件の抑止力になりたい。例えば朝、ユニフォーム姿で通学路や駅前などで“おはよう!”と挨拶しながら、清掃をする。夜は夜で“ヒートベアーズの選手と居酒屋で会ったけど、彼らは気持ちがいいなあ”と、言ってもらえる様な人間になる。“ヒートベアーズが出来た事で、(埼玉県や熊谷市が)明るく元気になった”と言われる事が僕のテーマなのですよ」

人間育成…パンチにとって最重要課題はそれなのだ。そのため、(パンチは)個々の技術面への指導はしない。「人としてあるべき」事だけを徹底的に教え込むという。
「プロ野球選手になれる人は世の中で少し。まず、そこに感謝をする事。そして一生懸命プレーする。そうしたら地元の企業が引っ張ってくれます。または地元企業の社長さんから“ウチの娘を嫁にしてくれないか”と言われるかもしれない。野球を辞めた後、本当の人間としての価値が問われる。そこを育成したい」(パンチ)

『5きげんテレビ』では東北復興に一役買っているパンチ。来年は熊谷の他に福島でもBCリーグ『福島ホープス』が立ち上がる。パンチが語る。
「僕は福島も盛り上げたい。もっと言えば“BCリーグって何?”という人もいるからBCリーグも盛り上げたい。僕の仕事はヒートベアーズを盛り上げる事によって、福島も盛り上げる、BCリーグも盛り上げる事です」

さて、再びプロ野球に携わる事になったパンチ。だが、BCリーグもオリックスも所詮、野球は人間が行うスポーツだ。
プロ野球の選手でも「信じられないチョンボ」はよくある話だという。

その中でも傑作中の傑作話をパンチが披露してくれた。
「僕が現役当時、ベンチ裏には軽食がありました。ホームはバナナくらいしかありませんでしたが、ビジターは充実。特にダイエー(現・福岡ソフトバンク)が本拠地にしていた福岡ドーム(現・ヤフオクドーム)は豪華でした。7回くらいに試合が決まってしまうと選手は“中洲準備”。試合そっちのけで食事を摂る。しかも“ないモノがない”というくらい充実しているので腹を満たすのは簡単。試合が終わるとシャワーに駆け込み、一目散で中洲に飛び込みました」

現役
試合の後にも楽しみがあった現役時代


ロッテが本拠地にしている千葉マリン(現・QVCマリンフィールド)には主催チームがロッテだけにガムの山だったという。
「“好きなだけ持って行って下さい”的な感じでしたね。それならば、という事で“1試合、何枚ガムを食べられるか”というゲームを試合中、選手同士で競った事があります。僕は最高8枚でしたね」

傑作なのは西武ドーム。西武にはチョコレートやサンドイッチ、唐揚げが用意されていた。代打要因のパンチは血糖値を上げようとチョコレートを常々、口にしていたという。
「ある時、僕の横で先輩が唐揚げをつまんでいたのです。その先輩は守備固めでベンチ裏からサードに直行。唐揚げを頬張りながらポジションに就いたのです。よく“代わったところにボールが行く”というでしょ。いきなり先輩のところへ打球が飛んでいったのです。イージーゴロ。難なく捌いて一塁へ…となったのですがボールは一塁手が捕れないところへ大暴投。ピューンという感じです。ベンチは“オイオイ”となるでしょ。すると先輩は“唐揚げ(の油)で手が滑った”というのです」

驚くべきエピソードだが続きはまだある。
「試合後のミーティングで先輩のエラーが話題に上ったのです。何の話かというと“これからは利き手と反対の手で物を食べるように”という指摘。皆、ぶっ飛びました」

良くも悪くもプロ野球選手らしいエピソードだ。まあ、このエピソードはともかく、パンチは宣伝部長という形だが来年、再びプロ野球界に戻ってくる。
ヒートベアーズへの初年度の動向は今から気になるところだ。


「若気のいたり」を全部読む
http://taishu.jp/entertainment/wakaba/

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