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イチローより早く海外で有名になった「1964年のジャイアント馬場」

2014-11-29

プチ鹿島の連載コラム 「すべてのニュースはプロレスである」

遂に出ました「1964年のジャイアント馬場」(双葉社)。すでに話題騒然。

たぶん、著者の柳澤健(やなぎさわたけし)は「村の人」じゃないから面白いのだと思う。もともとは文藝春秋にいた。Numberなどでの取材活動を経て2003年からフリーになった。つまりプロレスマスコミの人ではないのだ。プロレス界と利害関係がない。

「1976年のアントニオ猪木」(文藝春秋)は名著として世間で絶賛されたが「プロレス村」のマスコミは黙殺した。書かれてはまずいことも含まれていたからだ。

柳澤氏と初めて会った時に「村」の例え話が出た。そのひとつが「東電とマスコミ」。「あれも村の人たちが多いでしょう」。だからこそ利害のない人間が伝えることが必要なんだ、と冷静に語っていた。

柳澤健は「ボクはそんなに詳しくないですから」とよく言う。当然謙遜も混じっていると思うが、だから「一般目線」で徹底して調べなおす。

猪木について書いたら、その延長で今度は「レスリング」について興味を持った。そして「日本レスリングの物語」(岩波書店)という、これ一冊あれば日本レスリング史が誰でもわかる作品を書き上げた。それもすべて「猪木はタックルの技術を知らなかったのでは?」という重大な疑問から始まったのである。「猪木対モハメド・アリ戦」があれだけ膠着したのもそのせいでは?という仮説を持ったのである。

そして今回の「1964年のジャイアント馬場」だ。これも「猪木を調べていると、どうしても馬場の存在のでかさに気づくから」だったという。

「だから、あくまで猪木なんです、ボクの中心は。猪木をわかりたいためにレスリングや馬場さんを徹底的に調べていこうと思った。そうやって周りから調べていけば中心(猪木)が浮かび上がる図式になる」と柳澤健は言う。

仮説を掲げて、関係者に裏取り取材を徹底し、資料を調べる。ファンタジーと思い入れと自己申告で成り立つ「プロレス」というジャンルに調査報道を持ち込んだ。このアンバランスな組み合わせはコロンブスの卵だった。

数年前、ある新年会で「“1976年のアントニオ猪木“の次は“何年の誰“を書きたいですか」という質問に「1960年代の馬場正平」と氏は答えた。

ジャイアント馬場が新人時代にアメリカで成功していたという事実はプロレスファンなら誰でも知っている。しかしどの程度かは具体的には誰も知らない。

「たとえばアメリカの図書館に行けば馬場さんの当時の資料がたくさん眠っているはず。それを丹念に掘り起こしていくだけでボクたちの知らない馬場さんの姿がよみがえる。イチローより松井より早くアメリカで有名だった日本人アスリートの姿が。ワクワクしない?」

そう、「1964年のジャイアント馬場」を読めば、知っているようで知らなかった「未知の強豪・馬場正平」がそこにいるのです。

ワクワクしませんか?




「1964年のジャイアント馬場」(柳澤健/双葉社)
2014年11月19日発売 単行本592ページ




プチ鹿島
PROFILE
1970年5月23日生まれ。お笑い芸人。オフィス北野所属。時事ネタを得意とする芸風で、新聞、雑誌などにコラムを多数寄稿。ラジオ番組「東京ポッド許可局」(TBSラジオ)、「荒川強啓のデイキャッチ」(TBSラジオ)、「キックス」(YBS山梨放送)ほか、TVや映画など多方面で活躍中。





「教養としてのプロレス」(プチ鹿島/双葉社)
2014年8月7日発売 新書判304ページ





今もっとも注目すべき文系芸人・プチ鹿島氏による初の新書が双葉社より発売! 「どの週刊誌よりも売れていた」という90年代黄金期の週刊プロレスや、伝説の編集者・井上義啓氏の週刊ファイトなどの“活字プロレス”を存分に浴びた著者による、“プロレス脳”を開花させるための超実践的思想書。 「半信半疑力を鍛える」「グレーゾーンを許容する」「差別に自覚的になる」等々、著者が30年以上に及ぶプロレス観戦から学びとった人生を歩むための“教養”を、余すところなく披瀝。すべての自己啓発本やビジネス書は、本書を前に、マットに沈むこと必死!

ブログ:http://orenobaka.com/
ツイッター:@pkashima

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