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【三沢光晴をめぐる証言vol.2】ザ・グレート・カブキインタビュー

2代目タイガーマスク、全日本プロレス社長、プロレス四天王としての活躍、そしてプロレスリング・ノア旗揚げ。「天才」という名を欲しいままにしつつ、2009年6月13日におきた「リング上での死」という形で、ファンに衝撃を与えたままこの世を去った三沢光晴。 先日発売された「俺たちのプロレスvol.2(双葉社スーパームック)」では、彼と関係のあった10人のレスラーの証言を集め、プロレスラーとして、また男として、三沢がどんな人間だったのかに迫った。今回は、特別にその中から一部を抜粋して紹介したい。

「馬場さんが"俺はなあ、三沢を養子にしようと思ってるんだよ"って。それぐらい、馬場さんからも好かれてたよ」

──三沢さんが入門した頃、カブキさんはアメリカだったんですよね。83年に帰国されて、初めて会った時の印象ってありますか?

カブキ やっぱりね、練習を見たらアマレスやってただけあって基礎はしっかりできてるなと思いましたね。「おう、受け身とってみろよ」って言ったら、前方受け身、後方受け身と、ポンポンポン! とできてましたね。まだあの当時は線が細かったですけどね。

──09年のカブキさんの主催興行(カブキ祭)では三沢さんが乾杯の音頭を取られてましたが、その時の挨拶では「怖い先輩でした」と言われてましたね(笑)。

カブキ 別に怖いつもりはなかったんだけどねえ(笑)。「うるさい兄弟子が帰ってくる」って、陰で悪口言ってたんじゃないですか(笑)。

──しかし帰国するとカブキさんは大ブレイクで忙しくなって、接する時間もあまりなかったのでは?

カブキ まあ、東京近辺の大会で合宿所に集合した時なんか、ちょっと話したりはしてましたけどね。真面目な若い衆でしたよ。言葉数も少ないし。川田(利明)も大人しかったですね。先輩の三沢がいるから、何か言うと三沢が「うるさいんだよ、お前!」って感じでね(笑)。

──飲みの席なんかではどんな感じだったんですか?

カブキ 面白いヤツでしたよ。ああ、一度、かわいそうなことがあってね。淡路島で吉村道明さんが買った興行があったんだけど、1日休みがあったんだよ。それで吉村さんが大部屋でちゃんこ鍋を振る舞ってくれてね。みんなで車座になって鍋も6台ぐらいあって。三沢は小川(良成)と川田と一緒に俺のトイメンにいたんだけど、ちょうど鍋が噴いてみんなと一緒に三沢がフタを開けたら、後ろにいたある兄弟子が「テメエ、コノヤロウ、お前何開けてんだよ! ちょっと鍋貸せよ!」って言って、鍋でガーン! と頭を殴っちゃってさあ。

──ひどいですね!

カブキ それだけじゃないんだよ。「テメエ、手ぇ出せ!」って言って三沢が手を出したら、そこに煮えたぎった菜っ葉を乗っけてね。三沢も「うわーっ!」って涙ポロポロ流してねえ。俺はそいつに「お前、そんな理不尽なことして、いつかコイツらにメシ食わせてもらうようになるんだぞ!」って言ったんだけど、「バッカヤロウ、いいんだよ!」ってね。その兄弟子は後に団体を立ち上げたけど、三沢はノアになってもそこの選手とは一切交流しなかったよ。

──そんなことがあったんですね。

カブキ 後になって、ノアの若手と飲んでた時に三沢は、「俺だってなあ、昔はいじめられてたんだよ!」って、その話をしてたらしいよ。俺たち兄弟子がいるところでは騒がないでおとなしく飲んでたけどね。いないところではあんなことをやってた、こんなバカやってたっていうのはよく聞いたけど(笑)。

──指導したりもされたんですか?

カブキ しましたよ。三沢は飲み込みが早くてね。三沢は最初、ジュニアヘビーでやってたでしょ。それで二代目のタイガーマスクになってちょっと悩んでたから、「何も初代の真似をしなくていいんだよ。自分の個性のタイガーマスクでいいんだから、自分のやりたいことをやればいいよ」という話はしましたね。

──マスクマンとペイントの違いはあるとはいえ、キャラクターを全面に出したレスラーとしては先輩にあたるわけですよね。

カブキ 初代タイガーマスクがやめた時に梶原一騎から馬場さんに二代目の話が来て、俺に(馬場のモノマネで)「お前、誰がいいと思う?」と言うから「三沢じゃないですか?」って言ったんだよ。三沢はその頃メキシコに行ってたんだけど、馬場さんの頭の中にも三沢があったから、「そうだよな、俺もそう思う」って、すぐ電話してね。ちょうど三沢もメキシコでホームシックにかかってて早く帰りたかったから「はい、やります!」と。「バカヤロウ、お前タイガーマスクになるんだぞ」って馬場さんが言ったら「何でもやります!」って(笑)。

──そういうきっかけでしたか。

カブキ そうそう、馬場さんはね、三沢が若い時に彼を養子にしようと考えてたことがあったんだよ。

──そうなんですか!

カブキ 富山かどこかだったかな? 大会前に、馬場さんが「高千穂(明久・以前のリングネーム)、俺はなあ、三沢を養子にしようと思ってるんだよ」って。「いいんじゃないですか? 真面目だし」って答えたら「そうか? でもアイツはどう思うかなあ」と。「いやあ、馬場さんなら二つ返事じゃないですか?」「そうか、じゃあ話してみるか」というやりとりがあって控室に行ったら三沢がいたから、「おい三沢、馬場さんがお前のこと養子にしたいって言ってたぞ!」って言ったんだよ。そしたら三沢は「えっ! 僕ですか? ……でも僕、やっぱりイヤです」と。「バカヤロウ、馬場さんに言われたらしょうがないだろう!」って言ったんだけど、また考えて「……それなら僕、プロレスやめます」って。馬場さんのことはよかったらしいんだけどねえ……。まあそれぐらい、馬場さんからも好かれてたよ。

──そうでしたか……。カブキさんとタイガーマスクとは一時期、抗争もしてましたよね。

カブキ やりましたね。タイガーの十番勝負でも対戦しました。相手としてもね、攻めもうまいし受け身もうまいし、体も柔らかいしで、やってて面白かったですよね。

──その後、タイガーマスクはマスクを脱いで素顔の三沢光晴に戻るわけですが。

カブキ その試合ね、俺は解説をやってたんだよ。

──そうですよね、あの試合の映像が流れるたびに「何やってんの!」っていうカブキさんの驚きの声も流れてますよね。

カブキ 馬場さんが「おうカブキ、お前解説やってみろよ」って言ってね。「いやあ、俺なんかしゃべれないですよ」って言っても「バカヤロウ、何事も経験だよ!」って(笑)。でもあの時はそんなことになるなんてもちろん知らなかったから、ビックリしましたよね。でもやっぱり苦痛だったんだろうね。つらかったんだと思うよ。二代目っていうのは、どうしても初代のモノマネみたいになっちゃうからね。

ザ・グレート・カブキ(THE GREAT KABUKI)
本名・米良明久。1964年に日本プロレス入団。その後、全日本プロレスに移籍。ザ・グレート・カブキとして全米でトップに君臨。全日本退団後はSWS、WARなどのリングで活躍し、現在は飯田橋で居酒屋「BIG DADDY 酒場かぶき うぃず ふぁみりぃ」を営業中。

インタビュー◎高崎計三

『俺たちのプロレスvol.2(双葉社スーパームック)』より一部抜粋、全編は本誌にてお楽しみください。

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