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【三沢光晴をめぐる証言vol.4】天龍源一郎インタビュー

2代目タイガーマスク、全日本プロレス社長、プロレス四天王としての活躍、そしてプロレスリング・ノア旗揚げ。「天才」という名を欲しいままにしつつ、2009年6月13日におきた「リング上での死」という形で、ファンに衝撃を与えたままこの世を去った三沢光晴。
先日発売された「俺たちのプロレスvol.2(双葉社スーパームック)」では、彼と関係のあった10人のレスラーの証言を集め、プロレスラーとして、また男として、三沢がどんな人間だったのかに迫った。今回は、特別にその中から一部を抜粋して紹介したい。


「ホントに三沢とはよく遊んだなあ……。ベタベタじゃないけど、気心が知れているというか、心を許せる奴だったね」

──三沢さんは天龍さんが全日本プロレスを去ったあとにマスクを脱いで超世代になり、四天王になって平成の全日本を支え、隆盛に導きました。天龍さんはそれを外からどういう気持ちで観ていたんですか?

天龍 三沢がマスクを取って「これからは三沢光晴でやる!」って言った時にね、プロレス的だなと思ったし、俺が同じ立場だったら、同じことをしたと思うよ。ただ、マスクを取った後の闘いは俺の想定外だったね。ただし、俺たちがやってきたことを見ていたから、あれだけデコレーションを付けて昇華させていけたと思うんだよ。その自負はありますよ。俺たちがやってきた土台があったからという自負はありますよ。

──超世代、四天王の活躍は、先駆者の天龍さんとしてはレスラー冥利に尽きたんじゃないですか?

天龍 素直に「凄いなあ!」と思って観てましたよ。ただまあ「怪我だけはするなよ」と思ってましたよ。だって俺たちの時代は殴ったりとかサッカーボールキックとかだったけど、彼らは投げっ放しジャーマンとかね、究極の攻防だったからね。馬場さんが涙したっていうのもよくわかりますよ。俺たち、プロフェッショナルから観ても「大丈夫かよ!?」っていう感じでしたからね。

──天龍さんの全日本離脱後、2人が公の場で顔を合わせたのは馬場さんが亡くなった直後の99年2月4日の池上本門寺での豆まきでした。

天龍 あの時、お付きの人間に「天龍さんにコーヒーを……」とか、気を遣ってくれて感動しましたよ。やっぱり何年経っても変わらない、ブレない男だなっていう感じを受けました。ぶっきらぼうだけどブレないところに感銘受けましたよ。

──その数カ月後でしたっけ、元一世風靡の武野功雄さんの披露宴で飲んだのは。天龍さんも三沢さんも酔っぱらって、一世風靡のメンバーと一触即発になったとか(苦笑)。

天龍 柳葉敏郎や哀川翔とかが怒ってましたよ(苦笑)。プロレスラーを結婚披露宴に呼んじゃいけないってやつですよ。三沢、小川(良成)、小橋(建太)と同じテーブルになって、久々だから嬉しくなっちゃって宴会場のお酒を俺たちが全部飲んじゃいましたよ。あの時は三沢と小川が組んで、俺を早く酔っぱらわせて帰らせようとしたんだよ(苦笑)。それで小橋を使って俺にガンガン飲ませて。でも小橋も酔っぱらって帝国ホテルのトイレを壊しちゃったけどね(苦笑)。俺は小川にタクシーに乗っけられて……気付いたら家でしたよ(苦笑)。三沢も酔っぱらってたなあ。二次会でゲーゲー吐いてたらしいから(苦笑)。

──ただ、仕事の場では翌00年に全日本の分裂騒動が起こって、三沢さんはプロレスリング・ノアを旗揚げし、天龍さんは馬場さんの奥さんで全日本のオーナーでもあった元子さんの要請で10年ぶりに全日本に復帰しました。当時はどういう気持ちだったんですか?

天龍 俺ね、三沢たちに凄く腹が立ったんだよね。「馬場さんが亡くなってたったの1年で、思うに任せないからって出て行って別の団体をやるのかよ!?」っていう気持ちが強かったね。ごっそり選手が抜けた時に「それだけはするなよ」って思ったのが正直なところですよ。で、元子さんが「馬場さんが残した全日本をグチャグチャにしたくない」ということで、ある人を通じて全日本に戻らないかという話がきて、俺のほうから元子さんに「全日本は大丈夫ですか?」って連絡したら、いろんなわだかまりを捨てて「源一郎君、全日本が困った時にはお願いするから」っていうことだったから全日本に戻ったんですよ。元子さんの中では俺へのわだかまりよりも「お父さんが可愛がっていた三沢君がこんなことをするとは思わなかった」という気持ちのほうが大きくて、俺を受け入れたと思うんですよね。俺はね、気持ちとしては三沢の気持ちもわかるよ、レスラーとしてね。でも、たった1年でケツまくって「もう馬場さんの奥さんと喧嘩しちゃったの?」っていう気持ちが強かったよ。

──あの分裂騒動で天龍さんと三沢さんの縁が切れたかと思いましたが、冬木さんの直腸がんが判明して02年4月14日にディファ有明でノア主催による引退試合を開催した時に三沢さんが小川に天龍さんを迎えに行かせたんですよね。当時の全日本とノアの関係は険悪だったのに、GHC王者の小川が三冠王者の天龍さんを迎えに行くなんて有り得ないことでしたよ(苦笑)。

天龍 そんなこともありましたね。三沢とは社長室で会って、冬木とは控室で話をして……リングには上がらなかったけど、あの時は元子さんも見て見ぬふりをしてくれたんじゃないかな。冬木と三沢は仲が良かったからね。冬木、三沢、俺……常に周囲に馴染まない同士が仲良かったっていう感じがしますよ(苦笑)。

──そして時は流れ……05年1月8日のノアの日本武道館に天龍さんが上がり、天龍&越中VS三沢&力皇という形で実に15年ぶりにリングで再会しました。

天龍 02年9月いっぱいで元子さんが全日本から手を引いて……俺は元子さんがいたから全日本に戻ったんであって、武藤体制になってものうのうといるわけにいかないからフリーになって「どうしたものかな?」と思っている時に三沢から声が掛かったんですよ。で、元子さんに「三沢から声が掛かったんだけど、ノアに上がっていいですか?」って聞いたら……快諾はしなかったけど「天龍さんが決めたんだったら」ってことで上がるようになったんだよ。俺は「懐かしい全日本の空気に触れられる」と思って行ったけど、やっぱり“三沢光晴のノア”だったね。馬場さんの遺志を継いだ三沢光晴の団体でしたよ。




──15年ぶりの三沢光晴はタイガーマスクではないわけだから、天龍さんが食らったことがないエルボーなどの新しい技もあったわけで……。

天龍 俺が全日本にいた頃の三沢はテクニシャンだったけど、パワーファイターになって、それなりに威力を持った技がありましたね。「懐かしいなあ」って感慨深げにリングに上がった俺の目を覚ましてくれたのが三沢光晴でしたよ。「天龍さん、昔の三沢光晴とは違いますよ!」っていう感じで攻めてきたのを覚えてますよ。それによって「懐かしいけど、俺は外部からゲストとしてノアに来てるんだな」と割り切らなきゃいけない自分がいましたよ。

──でも6月の巡業中に久しぶりに札幌で飲んだんですよね。

天龍 昔みたいに三沢の頭をシェイクして酔っぱらわせたのを覚えてますよ(笑)。でも、その一方で「いつまでも回顧的になっている俺は切り替わらなきゃいけないな」って思い知らされたのも事実ですよ。「酒席でみんなが三沢光晴に気を遣ってるんだな」っていう感じでしたから。何かね、三沢光晴にジャイアント馬場を見た感じがしましたよ。

──05年11月5日の日本武道館で金沢の猛虎七番勝負第5戦以来、18年5カ月ぶりに一騎打ちが実現しましたが、あの試合は2人とも気負いが見られましたね。

天龍 あの時はね、一泡吹かせてやろうと思って闘ったんだけど、確かに気負いがあったね。それと同時に「重いなあ」って感じたんだよね。前はね、軽くて返し技が……フライパンの上でゴマを炒っているようにパンパン弾けて出てきたのが「打っても響かないな」っていうのがあったんだよね。「この野郎、俺とやってるから貫録決めてるのかな!?」っていう印象を受けましたよ。

──確かにあの試合は微妙にリズムが狂っていましたね。

天龍 三沢も「負けてなるか!」って気持ちが強かったと思うしね、何か澱んだ試合だったね。俺はもっと弾けた試合ができると思ったんだけど、意外とモチャっとした試合だったね。もっと吹っ切れてやらないといけなかったんだよね。何かね……お互いに背負い過ぎてたんだよね。今でも一番後悔が残る試合だよ。何なんだろうね……。

──よく天龍さんが言う「三沢は上手で武藤は巧い」という言葉は名言だと思っているんですが、改めてそれを解説すると?

天龍 三沢は汚いことを一切せずに正攻法の中で勝ちを見出す。武藤は臨機応変にいろんなことをやりながら勝利を導く。武藤は「武藤ならありかな」っていうこともやるけど、三沢は「それはないだろう」っていうことは絶対にしないで、綺麗なプロレスをやるんですよ。三沢はアマレスをやっていたバックボーンや馬場さんからの教えをそのままリングに表わす。武藤は柔道やっててプロレスの世界に飛び込まされて、自分の中の感覚でのプロレスだと思うんだよね。

──さて、天龍さんは05年の末でノアへのレギュラー参戦を終了しましたが「郷愁の気持ちもあってノアに上がったけど、上がらないほうがよかったかも」って言ってましたよね。

天龍 やっぱり「三沢が頑張ってるんだな」っていう愛情だけで遠くから見守っていたほうがよかったっていうのはありましたよ。郷愁で行ってみたら、三沢が何かよそよそしく気を遣っているし、田上とか知った顔はいるんだけど、キャリアを積んだレスラーを迎えるような目で見られたらやっぱり「おいおい」って思うからね。微妙な……アンバランスな中のバランスだったね。俺はもっと溶け込んで、もっと甘えたかったんだけど、それをさせないノアがあったね。その前に元子さんと会って、故郷に帰る気持ちで10年ぶりに全日本に戻ったわけだけど、そこには川田利明と渕正信の強固なバリケードがあって、その中には1ミリも踏み込めなかった俺がいたわけだから。それを踏まえてのノアだったから、特に郷愁が強かったと思うんだよね。でもノアにもやっぱり同じようにバリケードができちゃっていたっていうのが正直なところだね。

──それからは09年6月に三沢さんが亡くなるまで接点はなかったと思います。

天龍 そうですね。これは誤解してほしくないんだけど……三沢光晴が試合中に命を落とした時に「三沢光晴らしいな」と思ったと同時に、ホントに素直に「長い間、プロレスに命を懸けてきて、ご苦労さん」って、今まで一緒にいた友として受け止めることができたし、あの世に送ることができたと思うんですよ。今でもOさんとかと会った時に常に三沢の話題が出るんですよ。「いやあ、みっちゃんと飲んだ時は……」「あいつだけは……」って。それは俺たちしか知らないことだからね。これはホントにずっと宝物だと思うんだよ。だって皆さんが知っている“プロレス一本槍の三沢光晴”じゃないところばっかし知ってるわけだからね(笑)。それは俺や圓楽師匠、Oさん兄弟とかしか知らない三沢光晴だから。またいずれ……何年かして三沢と会う時に、そういう話がまた出るんだと思うよ(微笑)。

──天龍さんにとって三沢光晴は後輩ですけど、いつも“飲み友達”という言い方をしますよね。

天龍 俺ね、彼と知り合う前は意外と友達がいなくてね。カブキさんには身の上相談はしたけど、やっぱり先輩だからね。俺が勝手に打ち解けていって、いろんな身の上話をできたのは三沢が一番最初だったよ。三沢とはお互いに結婚していながらネエチャンといろいろあったりとか、馬鹿なことをした仲だからね(苦笑)。ホントに三沢とはよく遊んだなあ……。ベタベタじゃないけど、気心が知れているというか、心を許せる奴だったね。「ウマが合った」っていう一言かな。三沢、圓楽師匠、Oさん兄弟たちと飲んだのがホントに俺の青春だったね。女房に“あの頃があなたの青春だったわね”って言われるもん(苦笑)。あの頃は怖いものなしだったし、三沢も同じだったと思うよ。だって「銀座にプロレスラーがいなくなったね」って言われていたあの頃に、俺たちは闊歩してたんだからさ。


天龍源一郎(GENICHIRO TENRYU)
1976年に全日本プロレスに入団。その後はSWS などを経て現在は「天龍プロジェクト」を立ち上げて活躍中。05年にはノアにも参戦して、三沢光晴と実に15年ぶりにリングで再会した。


インタビュー◎堀江ガンツ

『俺たちのプロレスvol.2(双葉社スーパームック)』より一部抜粋、全編は本誌にてお楽しみください。

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