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【幕末女傑烈伝】50歳を過ぎて志士たちの連絡役に…松尾多勢子

2015年NHK大河ドラマ「花燃ゆ」のヒロインで、吉田松陰の妹・杉文。文はいま、激動の時代をしたたかに生き抜いた女性として注目されているが、彼女の他にも、幕末から明治維新にかけて逞しく生きた女傑はいる! 今回は、松尾多勢子の波瀾万丈ヒストリーを追う!!


信濃伊那谷の豊かな農家に生まれ、豪農に嫁いだ松尾多勢子(1811~1894年)。農家の主婦として4男3女を産み育てるいっぽうで、もともと学問が好きで、和歌や平田学派の国学の勉強も続けた。

国学というのは平田篤胤が提唱したもので、王政復古、つまり天皇を中心とした政治にすべきと主張。尊王の志士たちの考えにも近い。京都では、その志士たちが華々しい働きをしているとの噂が田舎の伊那谷にも聞こえ、彼女も京都に行きたいと願っていた。

子育てを終え、50歳を過ぎた彼女は一大決心、1862年(文久2)に京都の染物店に勤める若者に同行してもらい、京都に上る。そして、平田学派の薩摩藩士や長州藩士と交流するようになった。

吉田松陰門下生の久坂玄瑞(杉文の最初の夫)や、品川弥二郎(のちの明治政府の内相)、楫取素彦(杉文の2番目の夫)などとも親しく交流、志士たちの密談の場にも同席。50歳過ぎの田舎の農婦っぽい彼女は、幕府側にも怪しまれないということで、志士たちの連絡役を務めるようになった。倒幕をひそかに狙う公家の岩倉具視(のち明治の元勲)の知遇も得る。

しかし京都は、日増しに物騒になってきた。彼女も幕府側に目をつけられ、長州藩邸にかくまわれたりしながら生きる日々が続く。文久3年、心配した息子たちが京都に出てきて、彼女を田舎に連れて帰った。

その後、彼女は伊那谷で長寿をまっとうした。彼女は、やる気さえあれば50歳を過ぎた女性でも好きなことができる、という見本ではないだろうか。

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