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【幕末女傑烈伝】要人の愛人となり、密偵活動した中西君尾

2015年NHK大河ドラマ「花燃ゆ」のヒロインで、吉田松陰の妹・杉文。文はいま、激動の時代をしたたかに生き抜いた女性として注目されているが、彼女の他にも、幕末から明治維新にかけて逞しく生きた女傑はいる! 今回は、中西君尾の波瀾万丈ヒストリーを追う!!


中西君尾(1844~1918年)は、京都府船井郡八木町に生まれた。京都市街の西側を流れる桂川を20kmほど上流にいったところにある山間の町である。父は武士だったが殺害され、家が没落。彼女は19歳で祇園の芸者となる。

座敷に出ていた「魚品」というお茶屋には、高杉晋作が長州の志士たちを連れてよくやって来た。あるとき、高杉に連れられて来た井上馨は、君尾を見て一目惚れ。やがて、2人は愛人関係になる。

この店には、安政の大獄の際、井伊直弼の指示で多くの志士たちを弾圧した島田左近も飲みに来ていた。島田も君尾を口説いていたが、彼女はなびかなかった。

それを聞いた井上は、長州藩の同志を彼女のもとに行かせ、「島田と肉体関係を結び、密偵になってほしい」と頼んだ。その頼みを聞いた彼女は、島田の愛人となり、その動向を長州藩士に伝達。島田はその後、尊皇攘夷派の過激派で構成されていた天誅組に殺された。

また、新撰組の近藤勇も君尾を口説いた。彼女が「あなたが天子様の味方をされるなら」と答えると、近藤は「それはできぬ」と答え、あっさり引き下がったという。

1863年(文久3)5月、井上馨は伊藤博文ら5人でロンドンに留学。その間、長州藩の志士で松陰の弟子でもある品川弥二郎の愛人になり、子供を生んだ。

彼女は明治時代になっても芸者を続け、明治政府の高官になったかつての志士たちが遊びに来るなどの交流が続いた。もし、島田左近や近藤勇など幕府側の人間の愛人になり、志士たちの情報を幕府側に漏らしていたとしたら、彼女の運命も変わっていたかもしれない。

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