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【幕末女傑烈伝】高杉晋作の最期を看取った正妻・高杉雅子

2015年NHK大河ドラマ「花燃ゆ」のヒロインで、吉田松陰の妹・杉文。文はいま、激動の時代をしたたかに生き抜いた女性として注目されているが、彼女の他にも、幕末から明治維新にかけて逞しく生きた女傑はいる! 今回は、高杉雅子の波瀾万丈ヒストリーを追う!!


長州藩士の娘として萩に生まれた高杉雅子(1845~1922年)。父は山口町奉行という、藩内では身分の高い武士である。

1860年、雅子が16歳のとき、20歳の高杉晋作と結婚。新居は萩に構え、4年後には二人の間に息子も生まれた。ところが、高杉は幕末の政治活動に熱中し、家を飛び出したきり、めったに帰ってこない。

じつは、雅子に息子が生まれる頃、高杉は愛人のおうのと下関で暮らしていたのだ。萩から60kmほど離れた下関で、夫が愛人と暮らしていることは雅子の耳にも入っていたが、取り乱したりせず、一人息子を育てながらじっと家を守っていた。

しかし、夫が結核で重病だと聞き、下関まで出かけた。そこで初めて、夫の愛人・おうのと顔を合わせたのである。雅子は、おうのに代わり、自分が高杉の看病をすることにした。そして1867年(慶応3)、高杉の死を看取った。

雅子は1871年(明治4)、息子の教育のため、東京に出て麻布に住んだ。その後は、死ぬまでここで暮らしている。この間も、おうのとの交流は続いていた。おうのは雅子の東京の家を訪ね、泊まったりしたという。

高杉の思い出を語り合ったのだろうか。一人の天才的な男に関わった二人の女性。そのニ人が語り合う姿を、高杉は天国からどんな思いで眺めたのだろうか。

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