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全国47都道府県別ニッポンの「叩き上げ創業者」100人 vol.1

[週刊大衆1月7日・14日合併号]

会社を興すのは、一国一城の主として旗を揚げること。創業者たちには、どこか戦国武将に通じる部分がある。裸一貫の叩き上げとなれば、なおさらだ。国盗り合戦ともいうべき厳しい競争に彼らは臨んできた。

生き残る会社には、必ず「稼ぎたい、儲けたい」を超えた理念がある。

松下幸之助は、こんな言葉を残している。
「社長の一番の仕事は、経営理念をいろいろな人に伝えることだ」

今回、個性豊かな100人の創業者たちを、出身県別に取り上げた。彼らを通じて、ニッポンが見える。

まずは北海道。家具のニトリの創業者・似鳥昭雄は幼少期から札幌で父の経営するコンクリート製造販売業を手助け。大学卒業後は広告会社の営業をするが、半年でクビ。23歳で立ち上げた似鳥家具店も経営危機に陥るが、研修に行ったアメリカで圧倒的規模の家具店を目の当たりにし、大型店を目指して成功した。

日本一の商人を目指し、山形から上京した保芦邦人は1938年、25歳で八丁堀に山形屋米店を開業。のちに水産物製造業に転じ、現在の紀文食品に。46年には当時の公務員の初任給の55倍、3万円もするバイク、モト・グッチィを購入。夜明け前から九十九里浜、浦安と仕入れのために疾走する姿が評判になった。

クリナップを創業した井上登は福島県出身。ケヤキの食卓職人で、食卓を3台作り、2台を担いで自ら売りに歩いたが、恥ずかしくて、まったく売れなかったというエピソードに、実直な東北人の姿が窺える。

小林孝三郎は、茨城県坂東市出身。高橋東洋堂という化粧品会社で、30年以上にわたって発展に尽くし、50歳でコーセーの前身・小林合名会社を設立する。
「やり方によって、どんな時代でも発展できる」との言葉は重い。

リース業・レンタルのニッケンの創業者・亀太郎こと岸充宏は栃木県足利市出身。同社には「仕事とプライベートの区別を明確にする」ビジネスネーム制度が存在する。亀太郎自身は質素なアパートに暮らし、私利私欲とは縁遠かった。

埼玉県比企郡小川町で島村恒俊が開業したのが、しまむら。6人きょうだいの末っ子の島村は高等小学校卒業後、日本橋の綿布問屋に奉公し、商売を学んだ。

千葉県我孫子市に生まれた松本清も丁稚からの叩き上げ。薬剤師の資格を取得し、松本薬舗を開業。のちのマツモトキヨシである。69年には無給勤務の松戸市長となり「すぐやる課」を創設したのは有名な話だ。

シャープの創業者・早川徳次も凄い。1893年、東京生まれの早川は、生家が貧しく養子に出され、継母に壮絶な虐待を受けた。便所に落とされるのは日常茶飯事で、8歳で丁稚に出され、そこで稼いだカネもすべて継母にむしり取られていたという。
1911年、ベルトの新型バックルを発明したのを機に独立、再会した兄と早川兄弟社を設立し、軸をひねって芯を出すシャープペンシルをヒットさせた。しかし、関東大震災で一切を失い、大阪に移住。そこで開業した早川金属工業研究所が現・シャープに。

現在、苦境が伝えられる同社だが、また不死鳥のごとく復活するに違いない。

vol.5のとおり、福井県の社長輩出率は30年連続1位。今日の髙島屋の出発点を築いた飯田新七も敦賀出身で、12歳から丁稚に出て、その猛烈な働きぶりで米屋の婿養子に迎えられた。

ホテルニューオータニの創業者・大谷米太郎は富山県の貧しい農家の出。31歳で上京して人足をしていたが、力自慢を認められ、大相撲の稲川部屋にスカウトされた。幕下筆頭まで出世したが、手指の障害で廃業。酒屋に転身したのち、様々な事業を成功させた。

カレーチェーンCoCo壱番屋の創始者・宗次徳二は石川県生まれ。生後間もなく尼崎市の孤児施設に預けられ、3歳で養子に出され、愛知県に根づいた。開いた喫茶店で出していたカレーが評判になり、1978年に1号店を開業。

居酒屋チェーン養老乃滝の矢満田富勝は、長野県の出身。父が早世したため、幼い頃から一家の大黒柱として働き、この境遇ゆえ「土性ッ骨が鋼鉄の強さに育っていった」と語る。

花王の長瀬富郎は、岐阜の造り酒屋の次男坊。12歳で雑貨商に奉公に出て、22歳で上京。しかし米相場で失敗して無一文に。そこから心機一転、洋小物問屋に入店し、1887年独立。国産石鹸の品質が不満で、自社製造に乗り出した。

世界的スポーツメーカーの美津濃の水野利八も同じく岐阜県出身。12歳のとき父が過労死し、高等小学校を中退。丁稚奉公に出た。

軽自動車世界一の評価を受けるスズキの母体・鈴木式織機製作所を興した鈴木道夫は静岡県出身。農家の次男坊の鈴木は、奉公先の大工の親方が足踏式織機の製作に転向したのをきっかけに、その道に。やがて自動車に参入していった。

模型のタミヤも静岡。創業者・田宮義男は、製茶工場の四男として生まれるが、3歳で母が病没。家業を手伝ううち様々な事業に手を染め、戦後製材業を始めたのが現業のきっかけ。

愛知県は「天下取り」の本場だけに、多業種の創業者が生まれた。コンタクトレンズのメニコン・田中恭一、カゴメ・蟹江一太郎、シャトーカミヤ・神谷傳兵衛など、数多い叩き上げの人材が育っている。

『全国創業者列伝』などの著書を執筆し、数多くの企業人に取材してきた作家の鈴木隆祐氏は、こう語る。
「叩き上げで成功する経営者には、人から愛される部分が多い。豊臣秀吉的なところが多分にあるんです」

次に、粘り強い新潟人の気質を紹介したい。育児用品メーカー・ピジョンの仲田祐一のエピソードだ。

1957年の創立当初、哺乳瓶を主力商品としていた同社。創業者の仲田は、"理想の吸い口"を求めて足かけ6年、日本中を回り、出産経験のある女性に頼み、おっぱいを直接吸わせてもらった。その数およそ1000人! 一人で乳首のデータを収集した仲田の"日本全国おっぱい行脚"は、伝説となっている。

1月5日公開のvol.2に続く・・・。

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