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全国47都道府県別ニッポンの「叩き上げ創業者」100人 vol.2

[週刊大衆1月7日・14日合併号]

ヤンマーを創業した山岡孫吉は滋賀県出身。1912年、24歳で山岡発動機工作所を設立したが、第一次大戦後の不況で会社を閉鎖。郷里に戻り、石油発動機の改良に取り組んだ。
「百姓の倅だから、百姓が喜ぶものを作っていく」という信念を持ち、現在も7つある工場のうち5つは滋賀県内に置いている。

1831年、京都に生まれた古河市兵衛は、幼少の頃から豆腐を売り歩く貧乏暮らしで苦労を重ねた。生糸の商いなどを経て、77年に足尾銅山を買収。のちの古河財閥の礎を築いた。

商いの本場・大阪を代表する企業がサントリー。創業者の鳥井信治郎は13歳で薬種問屋に丁稚奉公に出された。そこで扱っていた洋酒に関心を持ち、1899年に鳥井商店を創立。1906年に寿屋洋酒店と改名し、「赤玉ポートワイン」で大ヒットを飛ばす。

大阪には前田久吉も。中学進学を断念した前田は、新聞配達から身を起こし、1922年に南大阪新聞を創刊。33年創刊の日本工業新聞が戦時下の統廃合で産経新聞となった。

がんこの創業者・小島淳司は和歌山県出身。高校時代から家業の雑貨屋を切り盛りし、自分の足で探した格安の靴下を売って、商才を見せた。そして28歳で「がんこ寿司」を開業。

叩き上げといえば、パナソニックの松下幸之助だ。和歌山県出身の松下は、父の米相場と下駄屋経営の失敗で、9歳で火鉢店に奉公に出されるが、そこで才覚を発揮。1918年に妻、義弟の井植歳男と、松下電気器具製作所を開業した。現在、年商7兆8462億円の超巨大企業に成長し、松下は"経営の神様"に。

松下の義弟で、兵庫県出身の井植が興したのが三洋電機。14歳だった1917年、働いていた船が大爆発に巻き込まれて炎上し、沈没。九死に一生を得た井植は松下を頼り大阪へ。ともに長年働いたのち、戦後のGHQからの公職追放令を受けて、義兄をかばう形で松下電器を退き、47年に三洋電機製作所を設立した。

兵庫県姫路市出身で、ノーリツを創業した太田敏郎は旧制姫路中から海軍兵学校に進んで出征。戦時中、一時帰国して風呂に浸かった際、しみじみと幸せを感じたことで、戦後、風呂釜の開発をはじめた。

人材派遣のメイテックの創業者・関口房朗も兵庫。尼崎産業高を中退し、運送業、実家の工場の営業などを経て、74年、名古屋技術センターを設立。近年では「フサイチ」冠の馬主としての印象も強い。

カプコンの辻本憲三は奈良県出身。高校卒業後、1963年に雑貨商・辻本商店を開業。綿菓子製造機を全国各地に売り込む際、簡易パチンコに人々が入れ込む姿を見て、ゲーム娯楽業界への参入を決意した。

サカイ引越センターを興した田島治子は、広島県出身。高校卒業後、小さな運送会社の長男・憲一郎と見合い結婚。1971年、トラック2台で独立。ニュータウン開発のタイミングで「引っ越し手伝います」と書いた看板を電柱に縛りつけて回ったのが奏功した。

同じく広島県ではダイソーの大創産業の矢野博丈がいる。1943年生まれの矢野は、妻の実家のハマチ養殖業を継ぐが、3年で倒産し、夜逃げ。その後、日用雑貨の移動販売を始め、「すべて100円」の価格設定が評判となり、今日の隆盛がスタートした。

森下仁丹の森下博は広島県福山市の生まれ。宮司だった父が煙草の製造販売に転業、小学校を辞めさせられ、煙草商に奉公に出された。父の死後、数日歩き通して大阪までたどりつき、高級洋物店で丁稚に。その後、薬種業の森下南陽堂を創業し、1905年に発売した仁丹が爆発的ヒット。売上の3分の1を投じた広告の効果も抜群だった。

リンガーハットの米濱和英は長崎ではなく、鳥取県の生まれ。62年に兄弟で長崎に移住し、とんかつチェーンを創業。74年に『長崎ちゃんめん』第1号店をオープン。破竹の出店攻勢で九州全土を制覇した。

1月6日公開のvol.3に続く・・・。

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