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「因果は巡る風車」万策尽きた小沢一郎

[週刊大衆1月28日号]

小沢一郎氏の権勢を誇示する恒例行事が、毎年正月の新年会。子飼い議員が何人集まるかが政界とマスコミの関心事だ。

昨年は東日本大震災で中止になったものの、民主党による政権交代後初めてとなった10年には166人、11年には、あの菅直人氏も含めて120人が参加し、小沢氏は「わが世の春」を謳歌していた。

しかし、民主党から分かれ、嘉田滋賀県知事をまつり上げた急ごしらえ新党で総選挙に惨敗。今年の正月は、寂しい限りだった。
「小沢邸に集まったのは現職議員13人を含む、たった20人でした。しかも昨年、離婚が明らかになった夫人の姿もない。小沢氏は"野党がバラバラではダメだ"と野党連合の計画をぶっていましたが、第三極で小沢氏と組む政党はいませんよ」(全国紙政治部デスク)

そんな"凋落の小沢新年会"の様子を知る自民党長老は、本誌特捜班に、「因果は巡る風車……とは、このことだな」とつぶやき、こう続けた。
「君たちのような若い記者は知らんだろうが、一郎が政治家として大きく一歩を踏み出したのは85年。田中角栄を裏切って竹下登を担いで創政会を作ったときだ。以来、竹下・金丸コンビに可愛がられ、47歳で自民党幹事長になった。その後、竹下を裏切り、自民党を飛び出して、現在までやって来た。まあ、それはいいとして、一郎を息子のように可愛がっていた角栄はオールドパーをがぶ飲みして脳梗塞で倒れた。そして、その角栄に忠義立てして竹下派について行かなかったのが二階堂進、山下元利ら14人。彼らのその後は気の毒だった。なかでも山下氏は、オヤジの角栄を裏切った小沢に対する敵愾心が強く、最後まで角さんと行動を共にしたが、角さんが亡くなった3カ月後に、後を追うように死んだんだ。当時は、小沢が殺したようなものだといわれたな」

政治に非情はつきものだが、小沢氏の歩いた後は死屍累々。"寂しき新年会"を見ると、因果応報という言葉が浮かぶのである。

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