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[小林繁]江川との屈辱的な交換で巨人から阪神へ その悔しさをバネに対巨人戦8勝無敗

[増刊大衆04月28日号]

感涙の発掘エピソード「だからオレたちは応援するんだ!」プロ野球「男気伝説」 1

熱い反骨心 巨人阪神 小林繁 1952~2010

「嫌で阪神に行くのではない。期待されて行くんです。誰からも同情の目で見てもらいたくありません」
1979年1月31日、深夜の羽田空港で開かれた緊急会見。その席上、小林繁は毅然として、こう話した。

事の発端は77年に遡る。同年11月、法政大学の江川卓はドラフト会議でクラウンライターライオンズ(現・西武)に1位指名されるが、入団を拒否。
すると、巨人はいわゆる"空白の一日"と言われる野球協約の盲点を突き、78年11月22日に江川と入団契約。だが、阪神はこれに抗議し、ドラフト会議で江川を指名、交渉権を得た。

真っ向から対立する巨人と阪神。これに対し、日本野球機構は、阪神の交渉権を認め、巨人は江川との契約を白紙に戻す。代わりに解決策として同機構は、「江川が阪神と入団契約を交わし、その後、巨人にトレードさせる」という強い要望を出し、キャンプインの前日、79年1月31日に巨人・小林との交換トレードが成立した。当時、日本中を騒然とさせた"江川事件"である。

「(羽田での)会見では冷静に振る舞っていた小林ですが、内心は悔しかったに違いありません。その証拠に、彼は打倒巨人に執念を燃やす男になったんです」(当時を知る関係者)

4月10日、甲子園で対巨人第1戦。阪神は因縁の小林をマウンドに送った。「小林、小林!」と盛り上がる阪神応援団。
1番打者は柴田勲。初球の内角直球はスピードもあり、気合十分。7回、1/3を投げて12安打を許す苦しい戦いだったが、抑えに助けられ、見事に勝利を挙げた。

その後、5月3日の対巨人戦では、フォークボールを中心に投球を組み立て、王貞治を4打席3三振に仕留めるなど闘志満々の投球で勝利。試合後、「(両チームの間に)力では差はない。問題は精神力」と、力強くコメントした。

その後も小林は巨人戦で勝ち続け、オールスター明けの初戦で1安打完封するなど、結局このシーズン、巨人に8連勝で無敗。前年、小林は巨人のエースとして阪神から5勝を挙げていたことを加味すると、単純計算で巨人は13勝を失ったことになる。
この年、5位に終わった巨人と首位・広島とのゲーム差は10.5だった。

9月5日、巨人から8勝目を挙げた小林は、「巨人軍をダメにしたのは僕かもわかりませんね」と述べた。打倒巨人の反骨心が実を結び、小林は同年、22勝を挙げ、最多勝投手となった。

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