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[津田恒実]肩に爆弾を抱えた"炎のストッパー"は2つの座右の銘で自らを奮い立たせた!

[増刊大衆04月28日号]

感涙の発掘エピソード「だからオレたちは応援するんだ!」プロ野球「男気伝説」 2

一球入魂 広島 津田恒実 1960~1993

82年デビュー。11勝6敗の成績で新人王を獲得するが、津田恒実の野球人生はケガとの闘いだった。
「83年も先発として9勝を挙げた津田でしたが、右肩三頭筋を痛めてシーズン途中に戦線離脱。その後も右手中指の血行障害やルーズショルダー(肩関節不安定症)に悩まされましたが、最終的に右手中指靭帯の摘出手術を行い、86年にストッパーとして再生したんです」(広島担当記者)

血行障害の影響で右手中指を十分に動かせないため変化球を思うように投げられず、復帰後の津田はストレート主体に投球を組み立て、その割合はほぼ9割に達した。球速は145~151㎞だったが、打者は一様に、その球威に驚愕し、彼は"炎のストッパー"と呼ばれるようになった。
「同僚であり、後に監督となる山本浩二は、津田のストレートを"ホップする直球"と呼んでいました。しかもピンチになればなるほど球速は増し、絶頂期のランディ・バースを150㎞超の直球で三球三振に切り捨てたこともありました」(前同)

それは86年5月8日の阪神戦での快挙だったが、試合を中継していた毎日放送アナウンサーの城野昭は、「津田、スピード違反」と叫び、バースは試合後、「クレイジー」とコメントした。

そんな津田の座右の銘は、『弱気は最大の敵』と『一球入魂』の2つ。
「もともと、メンタル的に弱いところがあって、それを克服するために、こうした言葉で自らを奮い立たせていたようです」(同)

津田は、この2つの座右の銘を書いたボールを肌身離さず持ち歩き、登板前には必ず、そのボールに向かって気合を入れていた。

そうした強い気持ちは素晴らしい結果を生む。86年22S、87年18S、88年20Sと好成績を残し、89年には28Sを挙げ、最多セーブ投手に。だが、91年、脳腫瘍が発覚して現役引退。93年7月、帰らぬ人となった。

94年、旧広島市民球場に、「直球勝負笑顔と闘志を忘れないために」と記された『津田プレート』が設置された。当時、投手たちはこれに触れて試合に赴いていたという。このプレートは『MAZDA Zoom-Zoom 
スタジアム広島』に移設され、いまもチームを見守っている。

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