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[斉藤和巳]ケガとの長い闘いを続けられた原動力は不敗のプライドと勝利への執念だった!

[増刊大衆04月28日号]

感涙の発掘エピソード「だからオレたちは応援するんだ!」プロ野球「男気伝説」 3

負けないエース ソフトバンク 斉藤和巳 1977~

いまも球界で語り草となっているシーンがある。06年10月12日、日本ハム対ソフトバンクのプレーオフ第2ステージ第2戦。この試合を落とせば日本シリーズへの道が断たれる大一番で、斉藤和巳は稲葉篤紀にサヨナラヒットを打たれ、マウンドに崩れ落ちた。
「あの場面には、斉藤の勝利への執念と負けた悔しさが凝縮されていました」(スポーツ紙デスク)
斉藤は全盛時の勝率の高さから"負けないエース"と呼ばれ、その称号にプライドを持っていた。だからこそ、ショックは大きかった。

斉藤は95年ドラフトで1位指名され、ダイエーホークス(現・ソフトバンク)に入団。97年に一軍初登板を果たすも98年に肩を手術することに。先発ローテーションに定着したのは03年からだった。

この年は20勝3敗、防御率2.83の成績で、リーグ優勝、日本一の原動力となり、沢村賞を受賞した。その後も04年10勝、05年16勝、06年18勝と、4年連続二ケタ勝利を挙げ、06年には二度目の沢村賞に輝いた。

当時から斉藤は、肩の不調を感じていた。しかし、チームの柱として投げられることに喜びを抱き、充実した日々を過ごしていた。
当時のことを、斉藤は次のように語っている。
「自分が結果を残せていた云々ではなく、そういう環境の中でやらせてもらっていることに喜びを感じていたんです」

だが、無理がたたったのか、07年に右肩痛が再発。6勝3敗のシーズン後、CSでの登板を最後に一軍を離れ、右肩を手術、長いリハビリ生活に突入した。
「その生活は、かなり辛いものだったといいます。悪夢に悩まされ、寝るのが怖くなった時期もあったようです」(全国紙記者)

しかし、"負けないエース"のプライドは、彼を逆境から奮い立たせた。
針、灸、気功、整体、マッサージ。藁にもすがる思いで、どこへでも飛んでいった。リハビリという孤独な闘いを支えたのは、もう一度、一軍のマウンドに戻りたいという執念だった。

11年に選手登録を続けながらリハビリ担当コーチになり、12年には打撃投手を務めるなど、現役への執念を燃やしたが、13年7月に引退を発表する。
斉藤が11年に及ぶ選手生活で残した成績は79勝23敗。まさに驚異的な数字である。

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