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[入来祐作]どんな仕事でもいいから球団に残りたい 野球にこだわり続けるストイックな人生

[増刊大衆04月28日号]

感涙の発掘エピソード「だからオレたちは応援するんだ!」プロ野球「男気伝説」 6

現場一筋 巨人日ムほか 入来祐作 1972~

「俺もいつかはコーチにと思っていたが、実際は諦めていた。工藤さんからいただいた、このチャンス。気持ちの強い、チームを勢いづけられる選手を育て、みんなの役に立ちたい」
今季からソフトバンク三軍の投手コーチに就任した入来祐作は、昨年12月12日に行われた就任記者会見で嬉し涙を流した。

これまでの入来の野球人生は波乱に満ちていた。PL学園、亜細亜大学、本田技研を経て、ドラフト1位で97年、巨人に入団。中継ぎ要員として頭角を現し、その後、先発ローテに定着した。01年には13勝4敗1Sの好成績を残し、エースと呼ばれる存在に。03年、日本ハムに移籍し、06年、メジャーに挑戦するも夢はかなわず帰国。07年、横浜ベイスターズに移籍する。08年10月、その横浜から戦力外通告を受けた。その際、横浜の担当者は次のような言葉を付け加えた。

「自由契約になりますが、今後、何か球団側でできることはありますか?」
それは、球界でもかなり珍しい申し出だった。このとき、入来は自分でも思いがけない言葉を口にした。
「私に何か球団でできる仕事はありませんか。野球界から離れたくないんです」

幸いにも、バッティング投手の枠が空き、入来は2年間をバッティング投手として過ごす。2年後、転機が訪れる。

10年の秋季キャンプで編成部から、
「この秋のキャンプから用具係をお願いします」と通告されてしまったのだ。裏方仕事に対する抵抗がなかったわけではないが、野球に携わる仕事ができるだけでも嬉しかった。
入来は、その通告を承諾し、黙々と裏方仕事をこなす。そんな姿を遠くから見ていたのが、巨人、横浜時代の同僚であった工藤公康ソフトバンク監督だった。

前出の橋本氏が言う。
「正式な発表がある前に、入来本人から"工藤さんから、三軍コーチの誘いがあって、受けるつもりでいます"という連絡がありました。彼なら必ずや、いい指導者になれます」

トップから下積みまで、あらゆる立場の気持ちがわかる唯一無二の野球人・入来祐作。指導者としての手腕が大いに楽しみだ。

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