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高倉健、仲代達矢、富司純子、松坂慶子etc.東映元社長が語った「昭和銀幕スター快豪秘話」vol.1

[週刊大衆9月2日号]

東映元社長にして、日本映画界の隅々までを知り尽くした重鎮・高岩淡氏(82)が、昭和銀幕スターたちの思い出を語り下ろした著書『銀幕おもいで話』(双葉文庫)が先日、刊行された。

高倉健、萬屋錦之介、鶴田浩二、仲代達矢、富司純子、松坂慶子……そうそうたるスターたちの知られざる秘話の数々。東映京都撮影所に集った映画人たちの豪快エピソードも満載だ。

今回、高岩氏が改めて、本誌に語ってくれた日本映画の風雲録をお届けする。

「高倉健さんは映画のイメージどおり、義理と人情を重んじる男の中の男。人と人との心の繋がりを何よりも大切にする方なんです」

目を細めて、長年深い交友を続けてきた高倉健さんのことを語る高岩氏。年も近く、出身も同じ九州ということもあって、お互いに気心の通じるところがあったという。

「健さんのお父さんが亡くなったとき、ロケ先から帰郷できなかった健さんの代わりに、私は彼の実家まで訪れて、葬儀に参列させていただいたんです。健さんはそのことを恩義に感じられて、私の母が死んだときに、そっと線香を手向けに来てくれたんです。本当に人の情を大切にする方で、私は胸が熱くなりました」

そんな健さんが、高岩氏の家を突然、訪れたことがある。それは、99年に公開された『鉄道員(ぽっぽや)』で、彼が日本アカデミー賞主演男優賞に選ばれたときのこと。

「“高倉ですけど、いまから伺っていいですか”と、夜中に電話がかかってきたんです。聞くと、もう“近くまで来ているので、お会いしたい”と。そうして来た健さんは玄関先で、ひと言、“賞を受け取らせて頂きます”と言われたんです。
健さんはそれまで、若い人に賞を譲りたいと受賞を固辞していたんですが、スタッフのことも考えて受け取ることを決めてくれました。そのことを、わざわざ家まで言いに来られるのが、なんとも健さんらしい」

高岩氏のもとに大切な挨拶に訪れるのは健さんだけではない。“緋牡丹のお竜”として大人気だった藤純子も、その一人。

89年、富司純子と改名して、映画『あ・うん』で久々にスクリーンに復帰するにあたって、高岩氏が住む京都まで、わざわざ訪れたという。

「純子ちゃんは私の家までやって来て、“東宝の作品に出させていただくので、ご挨拶をしないといけないと思ってやって来ました”と。
かつて女博徒を演じていた勝気な彼女が、深々と頭を下げるので、本当にびっくりしたのを覚えています」

俳優たちから厚い信頼を受ける高岩氏だが、それは彼が映画作りを成功させるために、常に役者やスタッフに徹底した気配りを行ってきたからに他ならない。

撮影所長や取締役という役職についてからも、サンダルにポロシャツ姿で現場を歩き回り、役者たちの靴まで揃えるので、女優の付き人と間違われることもしばしばだったという。

そんな高岩氏が東映に入ったのは1954年。当時は時代劇が全盛の日本映画黄金期。その製作現場であった京都太秦の撮影所で、彼は進行役として目が回るような多忙な毎日を送る。

「京都撮影所では誰もが走っている」と言われたほどの慌ただしさで、7~8本の映画が同時に撮影中なのは当たり前。撮影隊同士のケンカや縄張り争いも日常茶飯事だった。

「当時の私の肩書きは進行主任といって、役者のスケジュール管理や予算管理から、ロケの手配など、あらゆる雑用をこなす役割。
撮影が始まると徹夜続きは当たり前。1本の映画を1週間で撮り終えては、すぐに次の撮影に取りかかるというペースでしたが、戦後生まれた新興映画会社の東映は社員の年齢も若く、熱気に溢れていました」

当時の大スターが、歌舞伎界出身のプリンス・中村錦之助(のちに萬屋錦之介に改名)だ。高岩氏は、彼の当たり役・一心太助シリーズで進行主任を務めるなど、ゆかりが深かった。

その錦之助と当時、恋に落ちたのが共演した美空ひばり。周囲から別れるように諭され、悲しみに暮れた彼女が一晩、行方をくらませたこともあったという。

9月1日公開のvol.2に続く・・・。

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