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高倉健、仲代達矢、富司純子、松坂慶子etc.東映元社長が語った「昭和銀幕スター快豪秘話」vol.2

[週刊大衆9月2日号]

そんな往年の東映京都撮影所の空気を反映させた大ヒット映画がある。それは、82年の『蒲田行進曲』だ。

蒲田は、松竹の東京撮影所があった場所で、この映画も松竹と角川による製作だが、実は原作者のつかこうへいが取材したのは、東映京都撮影所出身の俳優。

「だから、本当は『太秦行進曲』なんですよ」と、高岩氏は、いたずらっぽく笑って話す。実際、映画の中でも舞台になっているのは東映京都撮影所で、堂々とその名前が出ているのだ。

監督は深作欣二、ヒロインに松坂慶子を配したこの作品。クライマックスで松坂が、夫の身を案じて門にしがみつき、「あんた!」と叫ぶ名シーンがある。

スクリーンの中では、雪が降りしきっているのだが、「実は、あの雪は私が降らせているんですよ」と高岩氏が言うから驚きだ。

当時、高岩氏は京都撮影所長だったが、いい映画を撮るためなら、なんでもするとばかり、せっせと作り物の雪が詰まった入れ物を揺すっていたというのだ。

「撮影していたのは夜中の4時頃。いよいよ一番盛り上がるシーンの撮影というとき、松竹の人が来て、“こんな時間ですから、撮影は終わりにしてください”と言うんです。私は頭に来て、“何を言うとるんや。ここでやめたら、映画が途中で終わってしまうやないか”と言い返しましたよ」

『蒲田行進曲』で撮影風景が描かれたような東映時代劇が下火になると、60年代には鶴田浩二や高倉健主演の任俠映画路線の時代に。

さらに、73年の『仁義なき戦い』からは、実際のヤクザの抗争を基にした、リアルな「実録ヤクザ映画路線」が始まる。これらを生み出したのも京都撮影所で、荒々しい豪快な男たちのムンムンするような熱気が渦巻いていたのだ。

だが、その京都撮影所も、時代劇があまり作られなくなったことで、不要論が本社から持ち上がる。そのとき、なんとしても京都撮影所を存続させたかった高岩氏のアイデアによって75年に生み出されたのが、東映太秦映画村だった。

「なんとしても古くからいる映画職人たちの雇用を守りたかったんです。最初は撮影現場を離れるのを嫌がっていた彼らも、映画村の仕事をするうちに“お客さんと直に接することのできるこっちの仕事のほうが楽しい”と言うようになったのだから、面白いものです」

映画村は、開村して最初の1年で入場者200万人を超える大成功を収め、現在に至っている。

社長・会長時代の東京暮らしを経て、再び東映京都撮影所の近く、嵯峨嵐山で暮らす高岩氏。いまも彼の気持ちは常に、撮影所とそこにいる多くの映画仲間、そして日本映画界に向けられている。

(取材・構成/里中高志)

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