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作詞家 故・石坂まさをが書き遺した藤圭子 母子への激烈メッセージ vol.1

[週刊大衆9月23日号]

8月22日早朝、西新宿にある高層マンション13階から飛び降り、命を絶った歌手の藤圭子さん(享年62)。

翌23日には、彼女の"育ての親"の作詞家で、今年3月9日に腎臓がんで亡くなった故・石坂まさをさん(享年71)を偲ぶ会が行われた。
これは単なる偶然なのか、それとも何かの運命だったのか、いまとなっては誰にもわからない。

実は、石坂氏は信頼する知人からの勧めもあって、死の直前に自らの半生記を綴っていた。
「晩年は糖尿病で左目を失明し、脳梗塞も患い、右目もほとんど見えなくなっていた石坂さんは、口述筆記で原稿を書き進めていたんです」(石坂氏の関係者)

残念ながら、その死によって半生記は未完となったが、本誌は『一秒でも長く生きてやる~私の人生宿命は北へ』と題された石坂氏の絶筆原稿を入手。

石坂氏の遺族と関係各位の了解を得たうえで、藤圭子と娘の宇多田ヒカル(30)に関する部分を抜粋して、紹介させていただく。
なお、事実関係など、現在では確認できない部分もあるが、原文のまま掲載している。

石坂まさを氏(本名・澤ノ井龍二)は41年5月18日、東京生まれ。
新聞配達をしていた氏は中学卒業後、17歳のときに作詞家を志すようになる。

20歳でプロの作詞家としてデビューした氏は、やがて東芝レコードの専属作詞家に。歌手デビューを夢見て上京してきた藤圭子(本名・阿部純子= 51年7月5日生まれ)と運命的な出会いをしたのは、氏が28歳のときだった。

〈ある夕方、僕が、東芝レコードに入れてあげた『花菱エコーズ』のボーカルである品川(芳輝)君が、ひとりの少女を連れてきた。少女の名は阿部純子といい、北海道から親子共々5人で出てきて、今レコード会社7社くらいに売り込んでいるが、これといった話はもちあがらない。東芝レコードにも売り込んでいるので、力を貸してくれという話だった。その翌日、阿部純子は、父親と母親を連れて挨拶に来た。父親は地方回りの浪曲師で、その三味線を弾く母親は盲目であった。母親は、目の見えない不自由な身体で、僕に必死になって「うちの純ちゃんは絶対売れると思うんです。どうかレコード会社に入れてあげてください」〉

この出会いから石坂氏と藤圭子の二人三脚は始まるのだが、当初から気心が知れていたわけではない。

〈そんな話を聞いているのかいないのか、純子は週刊誌の漫画を読んでいた。念の為に歌を聞かせてもらおうと、彼女にいうと、傍らのギターを抱いて『カスバの女』『星の流れに』を歌った。僕は、その生々しい声がいいのかわからなかったが、彼女たちが帰った後(石坂氏の)母がいうには「さっきの娘はいいね。必ずいけるから、龍ちゃん、おやりよ」と勧めるのであった。翌日、東芝へ行って幹部の人に話すと「彼女の話は来ているが、歌がちょっと荒っぽすぎて、わが社ではどうかな」といった。僕は自分ではあまり乗り気ではなかったが、母の気持ちを知り、長年世話になったレコード会社を辞め、新しい人生と格闘せねばと思った〉

"乗り気ではなかった"
と言いつつ、石坂氏は東芝レコードを辞めてまで阿部純子をデビューさせるべく奔走したのだから、ピンと来るものがあったのだろう。

藤圭子は北海道旭川市育ち。3人兄姉の末っ子の彼女は、幼い頃から浪曲師の両親とともに、ドサ回りの舞台に立っていた。
「ただ、極寒の北海道を一家で旅して回ったというのは、歌手デビュー時の創作の部分が大きいですね。実際はちゃんと学校にも通っていたし、成績もよかったそうです」(芸能記者)

進学を断念した彼女は、さっぽろ雪まつりのステージで歌っていた17歳のときに音楽関係者の目に止まり、上京を勧められた。

石坂氏の懸命の売り込みによって、無名の少女・阿部純子はコロムビアとの契約に漕ぎつける。
月2000万円の宣伝費を出すという破格の条件だった。

〈(そこへ)RCAレコードの榎本襄というディレクターが僕のところに来て、1カ月あまり毎日毎日「阿部純子をやりたい」というのだ。(略)断り続けたが、7月5日、阿部純子の誕生日で、お祝いの食事に行くことにした。その時、傍にいた榎本は運転免許証を出して「僕も連れて行ってくれ。ここに書いてあるとおり、今日は僕の誕生日だ」という。その頃には、気心もわかっていた僕は、これも何かの宿命に違いないと思って僕が悪者、嘘つきになるのならいいと思って、先の契約の話をオジャンにした。そして新しい戦場RCAレコードに通い出した僕は榎本さんに社員という社員は全部紹介してもらった。早速、デビュー曲『新宿の女』ほかの作品を書き、榎本さんに任せた。榎本さんは音楽に詳しく、色々アレンジャーに注文をつけ、いい作品に仕上がった〉

藤圭子のデビュー曲『新宿の女』は69年9月25日に発売されたが、これを機に氏もペンネームを、それまでの"澤ノ井千代児"から石坂まさをに改名した。

ちなみに、藤圭子という芸名は、石坂氏の知人の新宿有線の工藤宏社長の名前から「藤」を、社長の妹の圭子さんから「圭子」を取ったものだという。

作詞家として藤圭子に賭けた石坂氏は、結果的に音楽プロデューサー、マネジャーも兼任。
"演歌の星を背負った宿命の少女"というキャッチコピーも、石坂氏が考えたものだ。

9月17日公開のvol.2に続く・・・。

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