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作詞家 故・石坂まさをが書き遺した藤圭子 母子への激烈メッセージ vol.2

[週刊大衆9月23日号]

彼女を売り出すにあたっては、落語家の初代林家三平(故人)も大きな力になった。
事実、藤圭子はデビュー前の一時期、三平宅に間借りしていたことがあったのだ。

〈三平師匠の家の建て変えの時、(彼女は)雨の中で3時間、歌を歌って大工さん等を喜ばせた。その根性を気に入った師匠は、藤圭子の売り出しに力を貸してくれたのである。彼女を売り出すために、「新宿25時間立体キャンペーン」をやったが、その出初め式に新宿の西向天神まで駆けつけてくれたり、自分の高座で落語の合い間に『圭子の夢は夜ひらく』を歌ってくれたりした〉

ドスの利いたハスキーボイスと卓越した歌唱力で、『新宿の女』を皮切りに、『女のブルース』『圭子の夢は夜ひらく』と、立て続けに石坂作品でヒットを飛ばした藤圭子は、瞬く間に時代の寵児となった。

ファーストアルバム『新宿の女』は20週連続でヒットチャート1位。
セカンドアルバム『女のブルース』は17週連続で1位。
70年には、第1回日本歌謡大賞を受賞し、NHK紅白歌合戦にも出場した。

『圭子の夢は夜ひらく』の原曲は競作も多かったが、石坂バージョンには強烈なインパクトがあった。

〈『圭子の夢は夜ひらく』はLPの中の1曲として榎本が企画したもの。スタジオで熱があった僕は毛布にくるまって寝ていると、榎本が来て、その場で作詞をしろという。(略)一番目は歌手の事について考えた。歌手は紅白(歌合戦)を目指している。「赤く咲くのはけしの花白く咲くのは百合の花 どう咲きゃいいのさ この私夢は夜ひらく」(略)三番目は「昨日マー坊 今日トミー 明日はジョージか ケン坊か 恋ははかなく過ぎて行き 夢は夜ひらく」と、その頃、藤圭子がつき合っていた男の名を全部入れたのだ。この作品は空前の大ヒットとなって世の中を制覇した〉

71年8月、人気の頂点で藤圭子は前川清と結婚したが、1年後に離婚。
79年には引退を表明し、年末に渡米した彼女だが、石坂氏は「藤圭子のマネジャーとして得たものは沢山あった」と記している。

〈週刊明星の取材で、高倉健さんに会ったことがあるが、京都の撮影所に行くと自分でコーヒーを挽き、おつまみまでお手製で作ってくれたのだ。また週刊平凡がノーベル文学賞の川端康成氏が藤圭子に会いたいというので、事務所で会うことにしたらお土産に人形を二つ三つ持ってきてくれた〉

芸能界でも"藤ファン"が、いかに多かったのかを回顧している。

9月18日公開のvol.3に続く・・・。

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