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戦艦「大和」最後の生き残り士官が激白!レイテ沖海戦「謎の反転」70年目の真相 vol.3

[週刊大衆8月19・26日合併号]

この時、小沢艦隊が米ハルゼー艦隊を北方へ引き付ける“おとり作戦”を見事成功させており、栗田艦隊が敵輸送船団の集結するレイテ湾へ突入する準備が整っていた。
ところが栗田艦隊は、レイテ湾への突入を中止したのである。栗田長官は、突如として艦隊を反転させ、ブルネイへ引き返してしまったのだ。これは大東亜戦争最大の謎の一つである。
その理由はこれまで謎とされてきたが、深井氏の証言により、「大和」の艦橋内部の様子は冒頭に示したように明らかになった。

戦後、“謎の反転”を命じた栗田中将は、米戦略爆撃調査団のインタビューに応え、このときの決断の理由をこう語っている。

〈艦隊はレイテ湾に向針していました。その日にうけた攻撃状況や、われわれの対空砲火がその空中攻撃に対抗できないという結論から、もしこのままレイテ湾に突入しても、さらにひどい空中攻撃の餌食になって、損害だけが大きくなり、せっかく進入した甲斐がちっともないことを私に信じこませたのです。そんなことならむしろ、北上して米機動部隊に対して、小沢部隊と合同して共同作戦をやろうというところに落ち着いてきました〉(『丸』エキストラ「戦史と旅4」-レイテ湾突入ならず-)

この栗田中将の回顧には疑問が残る。おとり艦隊となって米軍の攻撃を引き付け、満身創痍となった小沢艦隊と、どうやって共同作戦をやるというのか……。
深井氏が秘蔵している短刀が、謎の反転の“答え”だった。その短刀には、鞘の部分に墨文字で、「義烈小沢冶三郎」と小沢中将の揮毫(きごう)がある。

「実は、栗田長官にはいわば“前科”があったんです。それはミッドウェー海戦の時のことです。空母4隻を沈められて引き揚げる際、当時、第七戦隊司令官だった栗田長官は、ミッドウェー島に上陸する予定だった陸軍の兵士を満載した2隻の輸送船を護衛する予定だったんです。
ところが栗田長官は、護衛すべき輸送船をほっぽらかして、さっさと日本へ逃げ帰ったんですよ。このことが、海軍内で大きな問題となったんです」

この前科から小沢中将は、国運を賭けた乾坤一擲のレイテ湾突入作戦の前、戦艦「大和」の一部の士官に短刀を手渡していたというのだ。深井氏は言う。
「小沢長官から、“栗田がもし途中でレイテ突入を止めるようなことがあったら、この作戦はダメになるから、『大和』の士官で司令部を守って、必ずレイテ湾に突っ込め。決死の覚悟だ!”と訓示され、この短刀をいただいたんです」

驚くべき事実である。このような事実があったことを、はたして、どれほどの日本人が知っているだろうか……。

栗田艦隊が突入を断念した後も、洋上の死闘は続いた。翌日の10月26日、米艦載機の攻撃を受けて、軽巡洋艦「能代」「阿武隈」が沈没。
4日間にわたるこの比島沖海戦の結果、日本艦隊は、戦艦3隻、空母4隻、重巡6隻、軽巡3隻、駆逐艦9隻を失い、その他多数の艦を大・中破された。無傷で帰還できたのは、わずかに戦艦「日向」と駆逐艦9隻を数えるだけであった。

レイテ湾突入ならず!

栄光の連合艦隊は、この比島沖海戦で事実上壊滅したのである。

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