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高校野球100周年記念「甲子園名将列伝」第4回 尾藤公監督(和歌山県立箕島高校)

[増刊大衆09月29日号]

高校野球100周年記念「甲子園名将列伝」第4回 尾藤公監督(和歌山県立箕島高校)

1915 年(大正4年)から始まった全国高校野球選手権は、今年で100 年を迎えた。それを記念して、野球史に名を刻んだ名監督たちによる激闘の記録と涙のエピソードを取り上げていきたい。第4回目は和歌山県立箕島高校の尾藤公監督。地元の選手を育成して甲子園の常連となった同校。名将の選手育成術と「尾藤スマイル」誕生の秘話に迫りたい。

尾藤公 びとう・ただし
●1942年、和歌山県有田市生まれ。高校時代、箕島で4番を務める野球部員だったが、甲子園出場経験はなかった。卒業後、近畿大学でも野球を続けたが、故障により退部。大学も中退し、銀行員となる。その後、1966年に箕島高校野球部監督に就任。厳しい練習で部員を鍛え上げ、就任3年目のセンバツ大会で甲子園初出場。以後、同校を甲子園の常連校に育て上げる。79年には史上3校目、公立校として唯一の甲子園春夏連覇を達成。この年、夏の選手権3回戦の対星稜戦は、「箕島の奇跡」として、高校野球史に残る名勝負と言われ、現在も語り継がれている。95年に監督勇退後は野球解説者として活躍。2011年に膀胱移行上皮ガンのため死去。享年68。

監督としての甲子園通算成績(部長としての出場含む)
春:出場8回・22勝5敗・優勝3回(1970年、1977年、1979年)
夏:出場6回・13勝5敗・優勝1回(1979年)

高校野球ファンの間でも人気の監督

春夏の甲子園大会で、数々の名勝負を繰り広げた尾藤公(ただし)(元・箕島高校監督)が膀胱移行上皮ガンで亡くなったのは、2011年3月6日。東日本大震災が起きる5日前のことだった。
通夜には尾藤の人徳を偲び、1500人もの弔問客が全国から訪れた。これほどファンに愛された高校野球の監督も珍しい。

尾藤は監督として、春のセンバツ大会優勝3回。夏の選手権大会優勝1回。計4回日本一になり、1979年には春夏連覇を成し遂げている。
過去、春夏連覇を達成した高校は、箕島以外に作新学院(栃木=1962年)、中京商(愛知=1966年)、PL学園(大阪=1987年)、横浜(神奈川=1998年)、興南(沖縄=2010年)、大阪桐蔭(大阪=2012年)と6校あるが、いずれも私立高。公立校は箕島だけである。

地元出身の選手だけで春夏連覇を成し遂げるには、確かな選手育成術が必要である。尾藤が高校球界の「名将」と呼ばれるようになったゆえんである。

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