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男が惚れる真のスターはドラ1選手の影にいた! プロ野球「驚異の成り上がり伝説」

[ヴィーナス11月03日号]

男が惚れる真のスターはドラ1選手の影にいた! プロ野球「驚異の成り上がり伝説」

 人生が左右される運命のドラフト会議。1位で指名される選手は多くの報道陣に囲まれ、翌日のスポーツ紙の一面を飾る。

 一方で、下位指名の選手はさして注目もされず、契約金も上位指名選手の半分以下。入団時から差がついてしまうのがプロ野球界の常だが、その後の成績は必ずしも順位通りにはいかないもの。今回は、そんな下位指名(ドラフト5位以下)から成り上がった現役選手を紹介する。

 現役で最高の成り上がり選手といえば、最年長の中日・山本昌(50)。日大藤沢高から83年ドラフト5位で中日に入団したが、当時、野球解説者だった星野仙一氏は「あまりに不格好なモーションでコントロールもない。球も130キロ前後しか出ないから、がっかりした」と話すほど、評価は低かった。

 そんな山本を覚醒させたのが、メジャー・ドジャースへの野球留学だった。「そこでスクリューボールを覚えたのが大きかったんです。日本に帰ってくると才能が開花し、94年には沢村賞を獲得するまでになりました」(スポーツ紙記者) それからの活躍は言うまでもない。通算勝利数は219(9月10日現在=以下同)と、歴史に名を残す大投手にのし上がった。

 同じくベテラン投手のDeNA・三浦大輔(41)も下位指名の星。

 91年にドラフト6位で大洋に指名された。彼の高校時代を取材していたベテラン記者は、こう話す。「奈良の高田商にいたんですが、県内では注目される存在でした。ただ、当時の奈良は天理、智辯学園の二強で、甲子園出場は叶いませんでした。ドラ1で巨人に入団した谷口功一率いる天理に阻まれたんです」 全国的に無名だったが、プロ1年目からマウンドに上がり、活躍。「ハマの番長」として、名実ともに横浜のエースに成長した。

 野手のベテランでいえば、97年ドラフト5位で中日に入団した井端弘和(40)。 「堀越高校のときから、めちゃくちゃ上手かったですよ。だけど、背が低いのがネックでした。スカウトからは“もう少し大きければ”っていう声が上がっていましたからね」

 亜細亜大学に進学すると、守備と走塁のセンスを発揮。プロ入り後はゴールデングラブ賞7回と、いぶし銀の活躍を見せ、現在は巨人でプレーしている。

 今年、メジャーから出戻ったオリックスの中島裕之(33)。00年にドラフト5位で西武に指名されたが、彼もまた無名の選手だった。「兵庫県の伊丹北高という無名校にいた中島は、1番で投手というチームの大黒柱として活躍していました。その素質に目をつけた西武のスカウトは、野手で育てたいと考え、野球部の監督に“ショートの練習をさせてくれ”“右打ちを徹底してくれ”と、お願いしていたんです。当時から打者としての才能を見抜いていたんでしょう」(アマチュア野球担当記者)

 入団後は二軍で英才教育を受けると、主軸を任されるようになる。12年末にはメジャーに挑戦。思うような成績は残せなかったが、下位指名から驚異の成り上がりと言えよう。

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