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「運の総量論」日本に麻雀ブームを作った男・阿佐田哲也の勝負哲学とは!?

[別冊週刊大衆 運命をつかみ取る「勝負師」たちの「勝つ生き方」]

「運の総量論」日本に麻雀ブームを作った男・阿佐田哲也の勝負哲学とは!?

 日本には多くの人々に尊敬される「雀士」がいる。もはやプロとかアマとかいった次元を超え、伝説となって語り継がれている人たち。彼らはどうやって負けない人生を勝ち取ったのか……。

 雀士、とは何者か? という定義は難しい。いや、もちろん辞書などでは、「麻雀を打つことを生業としている人物(プロ雀士)の他、麻雀の強豪(雀豪)として知られる人物……」云々と定義されている。が、本稿ではあえて、プロ、雀豪、アマチュアの違いは考えないようにしたい。なぜなら、そうでもしない限り、雀士という曖昧でいて、なおかつ強烈な光を放っている異能のレジェンドたちの姿を垣間見ることは出来ない、という予断があるからである。その予断のなかから、まず頭に浮かび上がってくるのは、この人、阿佐田哲也である。

 言わずもがなだが、『麻雀放浪記』で知られる稀代の麻雀作家・阿佐田哲也が、純文学作家であり直木賞作家・色川武大と同一人物であることは麻雀、あるいは文学好きには周知の事実だ。その純文学作家・色川武大がなぜ阿佐田哲也と名乗ることになったのか? これには、非常に興味深いエピソードがある。1969年1月2日、「週刊大衆(双葉社)」誌上で阿佐田はこう語っている。

「ボクの麻雀小説には、いろいろとサシサワリがあるんです。どういうことかというと、登場人物にサシサワリがある、ということです。(中略)ボク自身のことは旧悪であれ何であれ、いくらだって書く。しかし、ボク以外の人間のことを書いたらマズい。そういうわけでボクは覆面をすることになった」

 これは、阿佐田の代表作でもある自伝的ピカレスクギャンブル小説『麻雀放浪記』の主人公「坊や哲」さながら、阿佐田自身が麻雀打ち(バイニン)というバクチ打ちの世界の住人だったことによるものだ。言うまでもないが非合法の世界である。バイニンとしては群れを好まず、裏社会の代打ちをも務めて強豪の名をほしいままにした阿佐田(当時は本名の色川)だったが、自著『泥』のなかでも語っているように、敗戦直後の上野でアベック専門の恐喝グループにまで入っていたという。有り体に言えば、間違いなくアウトローの側に身を置いていたのは確かなのだ。作家として活動を始めたときには、むろん足抜けをしていたし、アウトロー生活は、終戦直後の混乱期からしばらくのことである。当時の阿佐田を誰が責められよう。しかし、いわゆる裏社会を生きてきた人間のケジメとして、自らを語るのはかまわないが、仲間、あるいはタワリシチ(同志)を巻き込むわけにはいかない、という色川=阿佐田の悪としての心遣いがあったのであろう。それにしても、面白いのが覆面=ペンネームが決定した時のことである。

「その日某所で徹夜麻雀をやってね。夜が明けた時に編集者氏から予告を出したいので名前が必要だという話があった。眠くてね。それで編集者氏と相談して、『朝だ、徹夜』ということにしようか、ということになりました」(前出・週刊大衆より)

 なんとも! よく言えばユニーク、悪く言えばいい加減とも言える名付け方であるが、これにはまだ続きがある。

「はじめは、『朝だ、夜明け』という名前にしようかと思ったけれど、編集者氏が運命的にアサダテツヤのほうがいいとわかったような、わからないようなことを言って、それで決まった」(前同)

 この一連のやりとりで決まったペンネームがのちにレジェンドとなり、そして日本の麻雀界に巨大な足跡を残したことは言うまでもない。その阿佐田の最大の功績と言えば、なんと言っても一大麻雀ブームを日本中に引き起こしたことであろう。それも、それまでは阿佐田のバイニン時代に関わった様な有象無象が行う妖しげなギャンブル……というイメージが先行した麻雀を、知的でセンスを重んじる「ゲーム」として認知させたのである。これによって、(その頃は)基本的に暇人であった学士様(大学生)などのインテリが競って麻雀を楽しむようになり、結果的に麻雀そのもののすそ野が広がっていったのであった。やがて雀聖とも呼ばれることになる阿佐田であるが、彼の麻雀にはこんな哲学があった。

「麻雀とは、ひと言でいえば運の取りっこだと思う。そうして、いわゆるテクニックとは自分の運を生かす知恵だと思う。したがって、綿密な注意力、それに加えて決断力(度胸)、さらにまた強い意志力が必要になってくるのは当然だ。これがない人はヤメたほうがいい」(前出・週刊大衆)

 これが、阿佐田の勝負哲学として有名な「運の総量論」の基本的な考え方だ。この阿佐田の哲学はもちろん、麻雀のみに特化しているわけではない。こんな話もしている。静岡県にある知人宅を訪れたときのことだ。

「朝、その知人の家の裏に出てみて、目をみはりました。富士山が……まるで絵にかいたような富士山がそこにあった。その時、ボクはこう思いました。『これでは静岡の人間は小成に甘んじるわけだ。富士山が、運をみんな持って行ってしまってる』。まあ、冗談といわれるかも知れないけれど、たしかにこういう点があると思う」

 冗談と最後に述べてはいるが、これは阿佐田自身の勝負にとってキモとなる考えで、つまり運の総量が決まっているからこそ、無駄な運は使いたくない……という理屈になる。阿佐田が没して、月日を重ねたいまでも、運の総量信者は多い。当然、彼らは意味なく複数のサイコロを振って(ゾロ目などを出して)運を使うなどという愚行は行わないのだ。

 阿佐田が残した足跡は麻雀の枠だけには留まらない。麻雀小説という新ジャンルを確立し、出版界に新たなひな形まで作ってしまったのであった。そのなかでも特に出色のアイデアが、小説のなかに出てくる「図解」だ。麻雀の局面をリアルに表現するために、牌を図解にして差し込むという斬新なアイデアは、麻雀をあまり知らないファンにも強く支持され、阿佐田流の代名詞ともなった。さらに、この新アイデアは小説のみに留まらず、図解をヒントにした麻雀マンガというジャンルをも生み出したのである。人気マンガ『哭きの竜』も、阿佐田哲也という開拓者の延長戦上にいると言ってもいい(もっとも作者・能條純一は、連載当初、麻雀ルールをよく理解していなかったと後に述べているが)。ともあれ、阿佐田が麻雀界に残した影響は大きく、まさに巨人、レジェンドというにふさわしい。そんな阿佐田の意外にもオーソドックスなバクチ感を紹介したい。

「バクチは実践者がいちばん強くなるものですよ。その実践者たちがいろいろなセオリーを作って行き、それがやがて他の人にもクチコミで伝わって行くものですよ」(前出・週刊大衆)

 運の総量論者の言葉だけに、心にとめておいて損はない。

<文・鈴木光司/別冊週刊大衆『運命をつかみ取る「勝負師」たちの「勝つ生き方」』より>

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