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ルーキー・長嶋茂雄「大物」伝説 33連発 Vol.2

[増刊大衆10月27日号]

速球や奪三振の数で甲子園を大いに沸かせた大谷と藤浪だが、長嶋の注目度はケタが違う。
当時、プロ野球をしのぐ人気の東京六大学リーグで、新記録となる8号本塁打を放ち、プロ入団前から大スターだった。

1.高3時に放った本塁打一本でプロ注目の的に

長嶋の打撃が注目されたのは、53年、千葉県立佐倉一高3年生の夏。
南関東大会の対熊谷高校戦(県営大宮球場)で、バックスクリーンに自身初のホームランを放つ。
この一本で長嶋の素質を見抜いたプロ2球団が、獲得に動き始めた。

2.月夜のノック特訓では素手でキャッチの荒技

54年春、立教大学に進学した長嶋を待っていたのは砂押邦信監督の厳しい特訓だった。

月のきれいな夜、砂押監督は、長嶋を相手に1000本ノックを敢行する。
石灰をまぶしてあるとはいえ、球は見えない。音だけが頼りだ。
「ボールは心で取れ」という監督の言葉に、長嶋は素手で捕球するという荒技で応えた。

3.新記録8号ホームランで全国区の人気者に!

3年の春、4年の秋と首位打者に輝いた長嶋は、4年生最後の公式戦で、当時の六大学野球記録を塗り替える8号本塁打を放つ。

57年11月3日、神宮球場で行われた対慶應大学戦の5回裏、慶應の林投手から奪ったものだ。
二塁ベースを回るあたりから、長嶋は踊るようにダイヤモンドを駆け抜け、三塁コーチと抱き合った。

4.六大学のスター獲得に11球団が手を挙げた!

六大学野球史上、最高の打者となった長嶋を巡るプロ球団の獲得競争は熾烈を極めた。
ドラフトのない完全自由競争の時代、巨人のほか西鉄、国鉄など11球団が名乗りを上げた。

契約金の最高額を提示したのは中日で、2350万円。
最も有力と見られていたのが、立教の同僚・杉浦忠投手と一緒に入団するという話が進んでいた南海。
しかし、長嶋が最終的に選んだチームは、故郷の千葉県に近い伝統のチーム・読売巨人軍だった。

5.ついに誕生した我らがミスタージャイアンツ

57年12月7日午前11時30分、東京會舘別館で、詰襟の学生服姿で金屏風の前に立った長嶋は、多くの報道陣に囲まれるなか、緊張の面持ちで契約書にサイン。
初めて巨人のユニフォームに袖を通し、「うれしいです。これから1年生として頑張ります」と語った。

6.契約金を預けた銀行を忘れて、友人と大騒ぎ

契約金は、当時の史上最高額で1800万円。
大卒初任給が1万2000円という時代だから、現在の貨幣価値に換算すれば、単純計算で約3億円。
国会で「契約金が高過ぎる」と問題になった。
当の長嶋は契約金を預けた銀行を忘れてしまい、友人たちと大騒ぎするという一幕も。

11月22日公開のVol.3につづく・・・。

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