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永田町謀略録「政治家の殺し方」 第1回 田中角栄(元首相) vol.1

[週刊大衆11月19日号]

「日本維新の会」を立ち上げ、国政進出を本格化させた橋下徹代表。この稀代の風雲児は権力への志向を露わにし、「統治機構を根本から変える」とブチ上げている。しかし、彼の考える「改革」のスケールが大きければ大きいほど、「不利益」を被ると考える「既得権益の持ち主」も多く、逆風は激しくなる。

既存の政治家、官僚、マスコミ、そして、アメリカの影……実際、これまで政界では、自らが信じる「改革」を実現しようとして、それらの「強敵」に挑みながら、表舞台から葬られた「死者」が累々として絶えないのである。

※※日本の外交が対米追随路線に大きく傾斜したのは、60年安保闘争以降のことである。しかし、アメリカに従属しておくことが日本の国益であるという考え方が支配的になるなかでも、それに逆らい、自主自立を目指した政治家は少なくない。そのなかでも筆頭格は、"大宰相""金権政治家"などと呼ばれ、極端な毀誉褒貶の多い田中角栄だろう。

知識の豊富さと判断力、パワフルさから「コンピュータつきブルドーザー」、また、高小卒(実際は中央工学校卒)から出世し、最高権力者のポストを手に入れた強い権勢から「今太閤」(立身出世した者)と称された田中。いまなお、独自の発想力や、強烈なリーダーシップが印象深く、偲ばれることの多い政治家だ。

だが、その個性的な発想力と指導力こそが、ある勢力に煙たがられ、「抹殺」を決意させたという見方はいまだに根強い。

『永田町抹殺指令!嵌められた政治家』(双葉社)を著した鈴木文矢氏は語る。
「そのある勢力とは、ひとつに"アメリカ"です。そして、それを田中の自民党内の"敵"であった三木武夫(元首相)をはじめとする反田中勢力が都合よく利用し、田中を闇へ葬ったのです」

まず、田中がアメリカの「虎の尾」を踏んだのは、独自の資源開発だった。
「田中氏は、当時、首相になった翌年の第4次中東戦争に起因する第1次オイルショックの危機感から、米追従ともいうべきイスラエル寄りの中東政策をアラブ寄りに変え、石油確保に動きました。また、ロシア(ソ連)の天然ガス資源にも興味を示して、17年ぶりの首脳会議を経て共同開発に乗り出そうと画策しました。さらに、インドネシアで天然ガスプラント、油田基地建設で合意。そのうえ、メキシコ、カナダで、オーストラリアやミャンマー(ビルマ)でも同様の協議を進行しました。ベトナム戦争終結直後の国交樹立も、資源確保の狙いがあったとされています」(前同)

田中角栄といえば、今年で40周年を迎えた日中国交正常化の立役者として知られるが、そこにも油田開発の狙いがあったというのが定説だ。

72年2月、ニクソン大統領が中国を訪問して世界に衝撃を与えた。その直後の同年9月、首相に就任して2カ月余の田中も中国を電撃訪問。周恩来首相や毛沢東国家主席と会談し、日中国交正常化を実現してしまった。

ニクソンは訪中は果たしたものの、台湾に利権を持つ国内勢力の圧力があり、米国議会を説得できず、米中国交正常化も79年のこととなる。そこへ、突然割り込んできた日本が先に国交正常化を果たしたのだから、ニクソンの"冷戦下の訪中"という偉業は完全に吹き飛んでしまったことになる。

そして注目すべきは、共産圏の油田はアメリカが手出しできないということ。こうした田中の一連の動きが、オイル・メジャー、ひいてはアメリカの怒りを買うことになったという。
「日本が独自に資源問題の解決を図るべきではない。日本の行動は同盟国への裏切りである」

当時、米大統領補佐官のキッシンジャーは日本の資源開発をこう激しく牽制したが、田中は頑として路線変更しなかった。そんななかで飛び出したのが、74年10月、ジャーナリストの立花隆氏が『文藝春秋』で告発した金脈問題。これがきっかけで田中は首相辞任を余儀なくされる。しかし、田中はしぶとかった。その後も彼は"闇将軍"として政界に隠然たる影響力を及ぼし続けた。
「一時は成功したかに見えた"抹殺"が失敗に終わった形です」(前出・鈴木氏)

そして、76年2月にロッキード事件が発覚。田中は受託収賄罪と外国為替・外国貿易管理法違反容疑で逮捕される。

11月16日公開のvol.2に続く・・・。

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