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永田町謀略録「政治家の殺し方」 第2回 橋本龍太郎(元首相) vol.1

[週刊大衆11月26日号]

いまであれば、橋下徹が国政進出に際して、まず直面する大きな懸案事項は尖閣や竹島など、領土問題かもしれない。
外交という、地方自治では触れない案件では、対応をひとつ誤れば国際問題に発展する。そうでなくても、複雑に絡んだ利害関係から、快く思わない勢!!力の"ターゲット"にされる危険性があるのだ。

※※
時は、98年7月の参院選。景気低迷や失業率の悪化なども重なって、当初、70議席は獲得すると予想された自民党は、40議席と大惨敗を喫した。居並ぶ記者やカメラマンの前で、その当時の首相・橋本龍太郎は心底悔しそうに呟いた。

「ちくしょう」

これが彼の転落の始まりだった。衆院選惨敗の原因は、消費税アップ。これは、前の村山内閣で内定したものを実施しただけだったが、不運なことに、結果的には税収を減らし、日本経済の停滞を招いたのだった。

橋本は亡くなる間際まで、この件に関して、「財務官僚に騙された」と述懐していたという。

その後、首相の座を後任の小渕恵三に譲ったあとにも、政治家としての"息の根"を止めるかのように"日歯連事件""中国人女性問題"などに見舞われた。結果、議員辞職を余儀なくされ、寂しく人生の幕を閉じることになったが、その陰に"何者"かの存在を嗅ぎつける者も少なくない――。

橋本龍太郎は37年7月、東京・渋谷で大蔵官僚の父・龍伍(後に衆議院議員)と母・春の長男として生まれた。母の父親も警視総監、朝鮮総督府政務総監などを歴任した大物官僚だった。しかし、その母親は龍太郎が生後5カ月のときに、中耳炎をこじらせて急死。父親も転勤が多く、少年時代は祖母宅で育った。

麻布中学・高校から慶応大学法学部と、順調に進学してきた彼は、卒業後、呉羽紡績(当時)に入社する。

その人生に転機が訪れたのは、社会人3年目の62年、父が急死したことに端を発する。父・龍伍が後継ぎに思い描いていたのは、次男の大二郎(元高知県知事)だった。だが、彼はまだ大学生。そこで急遽、龍太郎に白羽の矢が立ったのだ。

父の死の翌年、63年の総選挙で、自民党公認候補として初当選。後見人は、父と親交が深かった佐藤栄作・元首相。同期当選組には、その後、最後まで盟友関係にあった小渕恵三がいた。佐藤派に属した彼はその後、順調にキャリアを積み、67年、69年と衆院選で勝利。3選を果たす。佐藤栄作の引退に伴う佐藤派分裂の際には、田中(角栄)派入りを選択する。
「好きなんです。僕は、角さんが好きなんだから、しようがない」

橋本がこういって、人目もはばからず号泣したのは76年、田中角栄がロッキード事件で逮捕されたのを知った、そのときのことだ。
「72年に日中国交正常化を成し遂げた田中の影響を受けてか、意外にも橋本も親中路線。靖国神社参拝を強行するなど"タカ派"の一面を持つ一方、97年には訪中し、満州事変に絡んだ"九・一八記念館"を見学するなど、中国にも配慮しているように見えました」(中国関連の専門誌デスク)

しかし、それ以降も第一線から身を引きながらも"闇将軍"として隠然と政界に影響力を行使し続ける田中の寵愛もあってか、78年には大平内閣で厚生大臣、86年の中曽根内閣では運輸大臣を経験した。85年、田中派内に竹下登が勉強会「創政会」を発足。それを発展させる形で派閥「経世会」ができ、橋本は竹下登を師匠格とする「竹下派7奉行」の1人に数えられるようになった。

エリート街道を進み続けた橋本。親分の竹下が首相に就任すると、幹事長代理の要職に就任。その竹下が、リクルート事件で失脚したのち、宇野宗佑内閣で党幹事長に抜擢された。
その宇野首相に「3本指愛人スキャンダル」が噴出し、わずか2カ月弱で辞任に追い込まれると、後継候補として本命視されたのが誰あろう橋本だった。

しかし、世代交代を嫌った竹下や、橋本の突出を快く思わない金丸信、小沢一郎らに動きを封じ込まれてしまい、結局、後継首相には"人畜無害"である海部俊樹が就任したのだ。

当時、経世会の動向を追っていた、全国紙の元編集委員は、こう振り返る。
「竹下派の後継会長ポストをめぐって、度々、橋本と小沢の対立が目立つようになったのはちょうどその頃から。頭文字を取って、"一龍戦争"と呼ばれたものです。おそらく橋本にとっては、はらわたが煮えくり返る日々だったと思います」

順風満帆だった政界のサラブレッドといってよい橋本が初めて"挫折"を知ったのがこのときだった。だが、そこで終わる男ではない。
派閥の足並みの乱れに翻弄されつつ、96年1月、村山富市首相の辞任に伴い、橋本は総理大臣に指名され、自社さ連立政権による第1次橋本内閣が発足。
早くから首相候補だった彼がようやく掴んだ"総理の座"。就任早々、大きな交渉に打って出る。
「クリントン大統領との日米首脳会談で普天間飛行場の返還を要求。"全面返還"で合意を取りつけ、基地移転の道筋をつけました。結果、支持率も上昇。10月の総選挙では自民党の議席数を増やすことに成功しました」(ベテラン記者)

11月23日公開のvol.2に続く・・・。

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