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SMAP中居とV6坂本「ジャニーズ野球大会」で人生が激変した男たち

[ブリュレ]

SMAP中居とV6坂本「ジャニーズ野球大会」で人生が激変した男たち

 ジャニー喜多川社長が1950年代に作った少年野球のチームからスタートした、“美少年軍団”が「ジャニーズ事務所」だ。ジャニーさん自身も大の野球好きとあり、近藤真彦やSMAPの中居正広、KAT-TUN亀梨和也ほか、ジャニーズには本気でプロ野球選手になりたいと夢見ていたタレントが多い。

 80年代に「ジャニーズ野球大会」を始めたのも、ジャニーさんの趣味によるところが大きい。大会には毎回多くの動員数があるため、これまで2004年の新潟中越地震や11年に起きた東日本大震災の際は、チャリティを目的とした大会も開いてきた。

 この野球大会が人生の分岐点になった者もいる。その1人が中居だ。東京ドームの建設前、まだ後楽園球場で大会を開催していた頃、中居はそのマウンドに立っている。小学5年生の時、肘の故障によって読売ジャイアンツの選手になりたいという夢を断念した中居は、光GENJIに憧れてジャニーズに履歴書を送付した。そして中2の時、突然チャンスが訪れ、「ジャニーズ野球大会」に出場することになった。

 ピッチャーが近藤、ファーストが少年隊、サードがシブがき隊と、当時のトップアイドルが勢揃いする中、中居はセカンドを守る。野球経験はあっても、ジャニーズ的にはほぼ素人同然の人間がスタメン入りしたのだ。中居本人がその状況を把握できていなかったのはもちろん、見に来ていたジャニーズファンにしても「誰?」という雰囲気だったようだ。

 V6の坂本昌行も同じく、野球大会がその芸能人生に大きく影響している。高校生でジャニーズに入所した坂本は、将来に不安を抱いた20歳でいったん退所。旅行代理店に就職し、当時流行っていた「ねるとんパーティ」をプランニングし、バスツアーを組んだりしていた。ジャニーズに未練を残しつつ社会生活を送るある日、電車で偶然KinKi Kidsと遭遇する。そこでジャニーズ熱が再燃し、同期だったTOKIOの国分太一に相談。国分がジャニーさんに伝える形で、“再雇用”された。

 20歳を超えて出戻った坂本に与えられた最初の仕事は、野球大会でのキャッチャーというポジションだった。当然、キャッチャーマスクで顔は隠れるが、「ジャニーズに戻れるなら顔がわからなくてもいい」と背水の陣で挑み、チームに貢献した。

 その後、少年隊の東山紀之の付き人から再スタートする。およそ1年半東山に付いていろいろなことを学び、95年、ついにV6として歌手デビューを果たす。そしてV6は昨年20周年というメモリアルを迎えた。

 今年の7月に45歳となり、ついにアラフィフに突入する坂本。現在はミュージカルスターとして才能を示す一方、『ノンストップ!』(フジテレビ系)などでは料理の腕前も披露。金曜レギュラー「坂本昌行のOne Dish」が好評を博し、レシピ本も出版するなど勢いは増すばかりだ。

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