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藤原喜明「プロレスラーは、一生プロレスラーなんだよ」~今日一日を生きる人間力

[週刊大衆2016年08月15日号]

藤原喜明「プロレスラーは、一生プロレスラーなんだよ」~今日一日を生きる人間力

 プロレスラーは、一生プロレスラーなんだよ。今さら、違う仕事をしろって言われても無理だもんな。もう、67歳だから、膝はボロボロだし、肘も手術してる。首もいろいろあるんだけど、リングに上がって、お客さんの前に立つと、これが動くんだよ。習性みたいなもんかもしれない。アドレナリンが出てくるんだろうな。もはや、中毒だよ。アドレナリン中毒。お客がいれば、痛くないんだもんな。

 だから、リングでケガは何度もしたけど、翌日の朝まで全然、痛くない。昔、パイプ椅子でひっぱたかれて、頭の皮がペローンって剥けたことがあったんだよ。シャワー室に駆けこんで、傷口を石鹸できれいに洗って、タオルでおさえて病院に行った。そしたら、医者は麻酔を出してきたから、俺は“そんなのいらねえから、早く縫え”って。

 カーッとなってるうちに、縫っちゃったほうが、いいんだよ。縫い終わって、ちょっと一休みして、コーヒー飲んで、さて行くかってなると、急に痛くなってくるんだけどな。でも、プロレスラーは体を張ってこそだろう。最近、若いレスラーによく言うんだよ。“お前らな、パートのおばちゃんが1か月も2か月も働いて稼ぐギャラを、10分、15分でいただいているんだから、体を張れよ”って。体を張らなきゃ、価値がねえっつうんだ。

 若いやつらが生っちょろいことをしてると、腹が立つんだよ。あいつらは、ちょっと下手な試合しても若いから長い目で見てやろうってなるけど、年寄りは、一回でも無様な格好を晒せば、“あいつはもう終わったな”って思われるから、必死だよ。体もボロボロなのに、“なんで引退しないんだ”なんて言われるけど、おれは、自分の好きなことやって、それで食っていければいい。

 人は人、おれはおれ。人気がなければ、仕事がなくなっちゃうけど、ファンの人気を取ろうなんてことは思っていないし、興味がない。ゴーイングマイウェイだな。だから、興味があることは、もう徹底してやる。文章だって書いたことなかったけど、05年にコラムを書いてくれって言われて、断ると、“参った~”って負けたみたいで嫌だなと思って、始めたんだ。それから11年、週1回文章を書き続けているよ。

 陶芸は、もう7、8年作ってないんだけど、前はね、朝3時に起きて事務所にきて、窯焚きから始めて、何日も没頭して作業したりしていた。ただ好きなことを一生懸命やって今日一日を生きていきたいってだけ。9年前に胃がんになってから、より強くそう思うようになったな。

 リングの上で死を感じたことはあったけど、人って死ぬんだなと改めて病院のベッドの上で思った。入院中に、病院食ばかりで飽きちゃって、無性に油ギトギトのとんこつラーメンを食いたくなって、病院抜け出して、食いにいったら、2口で、吐いちゃった。喉が渇いたので水をガブ飲みしても、吐いちゃう。まあ、退院1週間したら、赤ワイン4本くらいあけられるように回復したんだけどな(笑)。医者も驚いてたよ。

 退院してからは、般若心経をひたすら覚えた。それから、死って恐れるものではないんだなって思えるようになったんだ。生きることが昼間だとしたら、死ぬことは夜を迎えるってだけのことでしょう。おれは、今日の夜に、“よし、明日もがんばるぞ”って寝て、そのまま逝ってもいいと思ってる。だから、やっぱり、今日一日を一生懸命好きなように生きるだけなんだよ。

撮影/弦巻 勝


藤原喜明 ふじわら・よしあき
1949年、岩手県北上市生まれ。72年に新日本プロレス入りし、同年11月に藤波辰巳戦でデビュー。カール・ゴッチに師事し、“関節技の鬼”の異名を取る。当時、新日道場に多数やってきた道場破りを追い払うなど実力が高く評価されていたが、人気は出ず、前座時代が長く続いた。しかし84年に試合前の長州力を襲撃し、“テロリスト”として一躍ブレイク。同年第一次UWF旗揚げに参戦。同団体消滅後、新日復帰を経て、プロフェッショナルレスリング藤原組を立ち上げ。現在は、フリーで活躍する。プロレス以外にも、陶芸、盆栽、イラスト、エッセイなど多彩な特技を持つ。

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