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石井義人 「クビにした球団を見返したい一心でした」プロ野球・不死鳥プレーヤー列伝

[ヴィーナス2016年07月03日号]

石井義人 「クビにした球団を見返したい一心でした」プロ野球・不死鳥プレーヤー列伝

 独特のオープンスタンスから、いとも簡単にボールを広角に弾き返す。現役時代、「打撃の天才」と謳われたのが石井義人氏(37)だ。1996年に横浜に入団。当初から打撃には定評があったものの、守備に難があって、出場機会に恵まれず、02年オフに西武へとトレード移籍。本人が当時を、こう振り返る。

「新聞を見て初めて知りました。最初は何も考えられなかったけど、チャンスだと思うようにしました」

 西武に移籍後、その打棒が振るう。05年、リーグ4位の打率.312という好成績を残す。08年には、クライマックスシリーズ(以下CS)で15打数8安打と大爆発。日本一の立役者になった。

 その後も規定打席には到達しないものの、チームに欠かせない存在……のはずだった。「11年に出場機会が減って、その年のオフに戦力外通告を受けたんです。“たった1年ダメでクビになるんだ”って思いましたね。悔しかった」

 まだ、やれる。石井氏は、1か月後のトライアウト受験を決意する。「どこからも声が掛からなくても、思う存分やろうと妻と話していました。妻は“アメリカに行ってもいいよ”と言ってくれて」

 トライアウト後、一本の電話が入る。なんと、巨人からだった。「まさか巨人のユニフォームを着られるとは思っていませんでした。このときは、“西武を見返してやろう。クビにしたことを後悔させよう”という思いでしたね」

 移籍1年目、石井は主に代打で起用されると、最終的に代打打率.405、得点圏打率.444と「代打の切り札」として大活躍することになる。素晴らしい成績を残した一方で、レギュラーに未練はなかったのだろうか。

「まったくありませんでした。無理だと思っていましたから。ここで生き残るには、代打での打撃しかないと思っていました」 バット一本で生きていく決意を固めた石井氏だったが、なかなか結果が出ない。

「最初は集中しすぎたり、緊張したりしていて。だけど、途中で気持ちを切り替えるようにしたんです。レギュラーは4打席もチャンスがある。だけど代打は1打席しかないし、相手は抑えのエース。簡単には打てませんよ。だから、“打てたら儲けもの。今日打てなくても、明日打てばいい”って思うようにしたんです。そこから結果が出るようになりましたね」

 代打職人としてチームの優勝に貢献。負けたら終わりのCSファイナル第5戦(対中日)では、9回裏、二死満塁の場面で代打の代打として登場すると、起死回生のサヨナラ打を放つ。レフト前に落とす“らしい”見事な流し打ちだった。

 戦力外になった悔しさを晴らすべく復活を果たした石井氏だったが、徐々に出場機会が減り、14年に二度目の戦力外通告を受ける。しかし、3年前とは違った。「思うように打てなくなっていたし、諦められたんです。妻の“もういいよ。ついていくから”って言葉を聞いて、引退を決めました」

 現在は独立リーグに参入している武蔵ヒートベアーズの打撃コーチとして、野球に携わっている。「今の若い子は怒られ慣れていないから、理解させるのが難しい。だけど、教えたことができた瞬間を見るのがコーチのやりがいですね。目標はチームを優勝させること。そうすれば、もっとファンが増えて注目されますから」

 近い将来、石井氏が育てた“バットマン”がプロに入団する日が来そうだ。

石井義人 「クビにした球団を見返したい一心でした」プロ野球・不死鳥プレーヤー列伝

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