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市川左團次「歌舞伎界は一つの大きな家族」~歌舞伎に生きる人間力

[週刊大衆2016年09月05日号]

市川左團次「歌舞伎界は一つの大きな家族」~歌舞伎に生きる人間力

 70年近くこの仕事をさせていただいていますが、歌舞伎役者としての自覚なんか、出てきたのはついこの頃ですよ。初めて舞台に立ったのは、小学校に入る頃でした。もちろん自分の意思ではありません。歌舞伎の子役は、何をしても大人に怒られないんですよ。ほら、子役がダダこねて、「もう帰る」なんて泣かれたら困るでしょ。だから、大人がとても優しいんです。

 当時、歌舞伎座が空襲で焼けてしまったので僕の初舞台は東劇だったのです。その頃、子役の楽屋で親玉格だったのは、先代の中村錦之助(萬屋錦之介)さんと嘉葎雄さんの兄弟。屋上でタチの悪いイタズラをよくやりました(笑)。そんなわけで、子役のときは、役者になろうだなんて、深くは考えなかったけど、劇場に行くのは楽しかったな。

 でも、年長けて21~22歳くらいになって、大人の役が回ってくるようになると、もう大変。子役の頃はチヤホヤされたのに、馬鹿だの何だのと、ひどい言われよう(笑)。「てめえなんか役者辞めちまえ」なんて言われたこともありましたよ。負けん気のある方はその悔しさが良い刺激になるんでしょうが、僕は馬鹿だからあまり感じなかった(笑)。むしろ、怒られるのが当然だと思っていましたね。長唄のお師匠さんがおっしゃっていたらしいんですが、「××さんは怒ったら来なくなっちゃったけど、欣也ちゃん(本名)は、いくら怒っても来るね」だって(笑)。

 親父は、僕の芝居を手とり足とり教えるような人じゃなかったけど、その代わり、「この役を演じるときは、この人のところに習いに行け」と道筋だけはつけてくれました。大人になって最初に教わったのが、市村羽左衛門のおじさん。几帳面な方で、自分で四角を描いたら、そこから一歩もはみ出さないようなお人柄でした。

 その次に教わったのが、(二代目)尾上松緑のおじさん。ガラッと教え方が変わって、「今のおめえにゃそれしかできねぇだろうが、俺の教えることはホントだから、そこだけ覚えとけよ」という人でした。まるで違う(笑)。

 僕の若い頃の「菊五郎劇団」では、いろんな先輩が寄ってたかって、ああでもない、こうでもないと教えてくださった(笑)。いま思えば、本当にありがたかったですね。また、(十七代目)中村勘三郎のおじさんのお弟子さんにもよく教えていただいたりもしました。僕より先に生まれて、ずっと舞台を観てきた方たちですからね。「坊っちゃん、ウチのダンナは、そんなことしませんよ」なんて。そんなわけで、僕自身も親父と同じやり方で、息子の男女蔵や孫の男寅には、直接教えず、ただ道筋だけを示してます。

 思えば、歌舞伎界全体に育てられたようなもの。歌舞伎界は一つの大きな家族のようなものです。結婚についてですか? 僕は21~22歳で結婚したけど、そのあと別れて、30年くらいずっと独身でした。今はまた結婚しています。再婚相手は、26歳下の女性。

 再婚した理由は、孤独死したくなかったから(笑)。当時、僕のまわりの独り身の方がどんどん倒れることがあって、「俺も1人のときに倒れたら、そのまま死んじゃうかも」って不安になったんです。長生きしたいから結婚したわけです(笑)。とはいえ、昔から健康には全然気をつけていません。運動なんて、そんな無駄なエネルギーは使いませんよ(笑)。体が資本なんでそんなことじゃあだめなんでしょうがね(笑)。

 今後の目標? 体に悪いと言われても、好きな物を食って、したいことをして、その余りで、仕事をして、死ぬ前日まで舞台に立てたらいいかな。この年になったらもう、好きなことだけしてなきゃダメですよ(笑)。

四代目 市川左團次 よだいめ いちかわさだんじ
1940年11月12日生まれ。生後数か月で、三代目左團次に引き取られる。47年、市川男寅として初舞台。62年に五代目市川男女蔵を襲名。79年に四代目市川左團次を襲名した。息子は六代目市川男女蔵、孫は七代目市川男寅。屋号は高島屋。

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