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女装に生着替え! SMAPが「バラエティで輝くアイドル」となった“原点”を探る

[ブリュレ]

女装に生着替え! SMAPが「バラエティで輝くアイドル」となった“原点”を探る

 SMAPが結成された1988年の翌年、昭和の時代が終わりを告げ、元号が「平成」に変わった。このあたりから、昭和のテレビを支えた歌番組の『ザ・ベストテン』(TBS系)、『歌のトップテン』(日本テレビ系)、『夜のヒットスタジオデラックス』(フジテレビ系)などが相次いで終了し、アイドルが歌を披露するテレビ番組が減少。邦楽にとっての“冬の時代”が訪れる。

 そんな時期に芸能界へ漕ぎ出したSMAP。与えられる仕事はわずかだったが、バラエティ番組へのオファーがあった。それが、『アイドル共和国』(テレビ朝日系)である。このチャンスを逃すまいと、メンバー6人はどんな企画にも全身全霊でアタックした。

 ちなみにこの頃、メンバーで一番早く連ドラへの出演チャンスを手にした稲垣吾郎は、『アイドル共和国』の初回収録をお休み。NHK朝の連続ドラマ小説『青春家族』の撮影に行っていたという。

 SMAPは、バラエティで当時のアイドルでは考えられないようなことに、次々と挑戦していった。たとえば、稲垣は16歳で初めての女装をし、コントに挑戦。当時のアイドル界に衝撃を与えた。

 ある番組のプール企画“丸太つかまり対決”では、中居正広と木村拓哉がガチンコ勝負を繰り広げた。水鉄砲を両サイドから浴びながら、回る丸太につかまって耐える企画で、丸太の回るスピードは、どんどん上がっていく。結果は中居が勝利し、「これでリーダーが決まった」と当時はいわれたが、真相は定かでない。

 他にも生着替えに挑戦したり、顔面をハリセンで思いきり叩かれたり、プールで大勢のファンから追いかけられ逃げ切るというゲームもあった。昭和のバラエティは実験的で、とにかくめちゃくちゃ。しかし、ここで芸人並みの奮闘を見せたことで、歌手デビューした翌92年、『夢がMORIMORI』(フジテレビ系)へのレギュラー出演が決定した。

 今でこそ多くのアイドルや俳優、女優までもがバラエティへも果敢に挑戦する時代になったが、その礎を築いたのはSMAPだったのかもしれない。

女装に生着替え! SMAPが「バラエティで輝くアイドル」となった“原点”を探る

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