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石川ひとみ「病気になっても、心の髄の部分には“歌”がずっと残っていた」ズバリ本音で美女トーク

[週刊大衆2016年10月24日号]

石川ひとみ「病気になっても、心の髄の部分には“歌”がずっと残っていた」ズバリ本音で美女トーク

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 大ヒット曲『まちぶせ』で紅白出場を果たしたのは、1981年。その後、歌番組『レッツゴーヤング』の司会など歌手以外でも大活躍された石川ひとみさん。87年に大病を経験され、今、再び歌手として輝く彼女に、アイドル時代から最近のライブ活動まで聞いた!

――最近、この美女トークには岡田奈々さん、石野真子さんといった70、80年代のアイドルの方々が登場してくださってます。石川さんも相変わらずお美しい!

石川:そんなことないですよ(笑)。最近もライブをやらせてもらっていますが、当時からのファンの方がよく来てくださるんですよ。

――では、ライブは50代ぐらいの方が中心ですか?

石川:いや。それが20代の方もいらっしゃるんです。

――それは意外です。

石川:そうですよね。でも最近は、YouTubeとかで昔の映像が見られるじゃないですか。そういうのを見て興味を持ってくださったんだと思います。

――そのアイドル時代ですが、超多忙な日々だったんじゃないですか?

石川:はい。でも、私としては、そんな感じはしなかったですね。若かったから一晩眠ればすぐに元気になっていたので(笑)。

――一晩寝たら大丈夫なんて、タフでしたね。

石川:そうなんです。でも日本中、いろんな場所に行きましたね~。今日は北だっけ? 南だっけ? って不思議な感覚でしたね。

――曜日の感覚もなくなったりしません?

石川:それは、ちゃんとあったんですよ。私は、音楽番組『レッツゴーヤング』や人形劇『プリンプリン物語』のレギュラーの収録日が決まっていましたので。そうそう、あの頃は音楽番組の楽屋は、出演者がみんな一緒だったんですよ。

――個室ではなく?

石川:はい。だから、メイクでも、楽屋の鏡を先輩の方が使ってらっしゃたら、ずっと使えなかったり。

――やっぱり、上下関係は厳しかったんですね。

石川:空いているところがあれば使えましたけど、空いてないときは大きなテーブルでやっていましたね。楽屋では、みんなけっこう仲良くワイワイやっていたんですけど、私はちょっと離れたところから見てて、なんとなく笑っていたりしていましたね(笑)。

――あんまり積極的じゃなかったんですかね。

石川:私、人見知りで、おとなしかったので、すぐにはみんなに溶け込むことが難しかったんですよ。

――石川さんの笑顔の裏には、そんな秘密があったんですね! ところで、先月に双子デュオ、ザ・ピーナッツの生誕75周年を記念して作られたアルバム『ザ・ピーナッツ トリビュート・ソングス』がリリースされましたが、このアルバムに参加されているんですよね。

石川:そうなんです。お話をいただいたときはうれしかったですね。ザ・ピーナッツさんは私が最初にお世話になったワタナベプロダクションの大先輩ですからね。とても光栄で「ぜひ、歌わせてください」って。

――ザ・ピーナッツとの出会いは?

石川:小学生の頃に、家にレコードがあったので、よく聴いていたんです。

――子どもの頃から親しんでられたんですね。今作の参加アーティストは、ももいろクローバーZといった若手から、太田裕美さんらベテランまで豪華メンバーです。ちなみに、プレッシャーは感じませんでした?

石川:私、そもそもプレッシャーって、感じたことが無いんですよ。

――プレッシャーを感じないんですか?

石川:そうなんです。もちろん、緊張はしますよ。今でもライブのときは毎回、レコーディングのときも。でも、私にとって緊張とプレッシャーは違うものなんです。ドキドキ、ワクワクは重圧にはならないんです。

――素晴らしいです! 今作で石川さんが歌われた曲『ウナ・セラ・ディ東京』は、岩崎宏美さんとデュエットされましたね。

石川:そうです。実は私がデビューのキッカケとなったオーディション番組『君こそスターだ!』で歌った歌が、岩崎さんの歌だったんですよ。

――それまた奇遇ですね!

石川:番組は7週勝ち抜きでチャンピオンが決まったんですが、最初に歌ったのが『ドリーム』で、7週目が『想い出の樹の下で』だったんです。

――おお。ちなみに、岩崎さんとのデュエットは今回が初めてですよね?

石川:そうです。とても楽しかったですし、いろいろと勉強になりましたね。

――勉強、というのは?

石川:レコーディングに臨む姿勢とか歌に対する謙虚さとか。でも、大胆に歌われるところもあって、岩崎さん流の曲のこなし方というのを感じ取れたので、すごく充実した時間でした。

――よかったですね。ちょっと話は変わりますが、石川さんは1987年に慢性B型肝炎にかかり、一年間休業されました。闘病生活は大変だったでしょうね?

石川:そうですね。一番大変というか、驚いたのは、誤解や偏見がある、ということでしたね。うつるんじゃないかと避けられたりもしました。私は生まれつきの母子感染で仕方のないことだったんです。当然、普通の生活でうつることはないんですが、そういう理解がなかったことが、一番つらかったです。でも、その分、人としての勉強はすごくいっぱいできて、ひとつひとつの経験すべてを自分の肉にするというか……。

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