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震災、共同生活、旅立ち「女川町保福寺 泣き虫和尚 奇跡の2年間奮闘記」 vol.2

[週刊大衆3月18日号]

しかし、不自由が少なくなると被災者たちが考えるのは、"今後"のこと。また、慣れない避難所の暮らしに疲労は蓄積し、それが不安へと繫がってしまう。
そんなとき流れた噂に、八巻住職は衝撃を受ける。
それが"和尚さんが、そろそろ私たちに出ていってほしいって、いってるらしいよ"というもの。
「そんなこと、ひと言もいっていないんですよ。でも、先が見えない不安にみんな怯えて、疑心暗鬼になっていたのかもしれません。お寺は皆さんの寄付で建てられたものだから、いたいだけいてもらっていいと必死で説明したんですけれど、その1週間後には、また同じ噂が出回ってしまうという状況でした」

こう八巻住職がいうように、誰もが不安だらけのなか、4月7日の深夜、震度6の最大余震が避難所を襲った。そのときに、ピークに達していた緊張が途切れてしまったのだろう……。小学生の娘を持つある女性が"もう、死んでもいいかな……"と洩らしてしまったほど避難者たちは精神的に追い詰められていた。
八巻住職にできること。それは人々を励まし、支えること。そして、地元の寺の住職として、震災で犠牲になった方々の魂を弔うことだった。
「そんな状況のなか、震災で亡くなった方々の四十九日の合同供養が営まれました。私は住職という身ですが、このときばかりは涙を抑えることができませんでした。犠牲者の中には、よそ者の私を温かく受け入れてくれて、第二の父親だと思っていた人もいた。何も知らない若僧だった私を育ててくれた、という気持ちが溢れてしまったんです」

こう語る住職の目からは、いまにも涙がこぼれそうだった。2年経ったいまも、住職は、このときの思いを忘れることなく抱き続けているのだ。

しかし、2年という歳月が経っても変わらない思いがある一方、刻々と変化する現実もある。
「確かに2年経ちましたが、ある側面では飽和、ある側面では著しい不足を感じています。食事や物資の面では何不自由なく日常生活を送ることができています。でも、漁業を生業にしていた集落なので、流された器材を購入するため、負債を抱えていたり、親族を亡くされた方もいます。そういった面では、普段の生活は戻ってきていません」

3月13日公開のvol.3に続く・・・。

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