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大槻ケンヂ「ロックという音楽が、僕にすべてを与えてくれたんです」ライブに生きる人間力

[週刊大衆2016年12月05日号]

大槻ケンヂ「ロックという音楽が、僕にすべてを与えてくれたんです」ライブに生きる人間力

 もう学校が大嫌いだったんです。中高時代に、女子としゃべったのは、トータルで15分くらい。しかも“ハサミ貸して”とか業務連絡だけ。今、小学生でも彼女がいるなんて話を聞くと許せないですよ。羨ましすぎて。女の子にモテないし、勉強もできなかった。学校で、勉強したことが1秒もないんですよ。机の下に本を入れて、1時間目から6時間目までずっと読んでいました。あるとき、先生に本を取り上げられて、“あとで職員室に来い”なんて言われて、説教されるんだろうなと思ったら、“安部公房を読むのか。偉いな”って褒められたこともありましたけど(笑)。

 学校の勉強をしなかったぶん、自分なりに小説を読んだり、映画を観たりして、勉強しなくてはという思いだけはあったんでしょうね。当時は、失礼な話ですけど、サラリーマンになることを“死と同義語”ぐらいに思っていましたから。本を書いたり、歌を歌ったり、自分を表現すること以外で、生きていきたくないって頑なに思い込んでいたんですよ。今になって、会社勤めも自己表現のひとつだったと思うし、立派な生き方だと気がつきましたけど。もっとも、僕は社会人になろうと思ってもなれませんでしたから。当時、学歴偏重社会のなかで、2浪して偏差値の高くない大学に入って、1年生の時に、留年が決定していた。

 だから、ロックバンドとしてデビューできて、本当に救われました。ロックという音楽が、僕にすべてを与えてくれたんですよ。仕事も、友達も、お金も。ただ、音楽の勉強もしなかったんですよね。80年代はパンクの時代で、歌は上手く歌ってはいけないし、楽器も上手く演奏してはいけないって。僕は、それをちゃんと信じて、勉強しなかった。だから、いまだに楽譜が読めません。あと、当時はロックバンドといえば、破天荒をしなくてはいけないという空気感があって、ツアーで初めてビジネスホテルに泊まったときに、“テレビを投げなきゃいけないのかな”って思って、本当に投げようとしたんです。でも、日本のビジネスホテルって防災上の関係なのか、窓が30度くらいしか開かないんですよ。“あれ、投げられないな”って(笑)。

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