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新聞、テレビが報じていない「WBC日本代表」“侍ジャパン”激闘物語

[ヴィーナス2017年03月03日号]

止まらないキスの秘密
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「もう何度したのか覚えていない」

新聞、テレビが報じていない「WBC日本代表」“侍ジャパン”激闘物語

 野球の世界一を決める大会「ワールド・ベースボール・クラシック2017」は、いよいよ決勝ラウンドに突入する。第4回大会となる今回の出場チームは16か国。第1回、第2回を連覇し、前回大会は準決勝敗退の日本代表「侍ジャパン」が、世界一の座を奪回できるかどうかが最大の見どころだ。今回は、どのチームも優勝を目指す「本気モード」だ。ここであらためて、過去3大会で繰り広げられた激闘の歴史を振り返ってみよう。

 第1回大会が開催されたのは06年3月。それまで行われていた五輪などの国際大会とは違って、初めてMLB選手の出場が可能となり、野球の実力における国際比較が可能となった。

 日本は、「世界のホームラン王」である王貞治氏を監督に据え、イチロー、松井秀喜などのメジャーリーガーを中心に、日本のトッププレーヤーを集めた文字通りのドリームチームを作ろうと試みた。「しかし、松井秀喜は出場を辞退し、国内組も辞退者が相次ぎました。王監督の思い描いたベストメンバーが招集できず、嘆いていました」(スポーツ紙デスク)

 結局、メンバー31人のうち8人が、前年に優勝した千葉ロッテの所属選手と、少々偏りあるチーム編成になってしまった。しかし、これが逆にチームのまとまりという点では有利に働いた。当時、チームの正捕手だった里崎智也氏は、こう話す。

「周りを見たらロッテの選手ばかりなんで、全然緊張しませんでしたね。他の投手陣も松坂大輔をはじめ、ほとんどがパ・リーグの投手でした。日頃、どんな球を投げるのか見ている投手ばかりだったので、リードしやすかったですよ」

 実は、里崎氏と王監督は、同じ5月20日生まれ。「王さんには、物心ついたときから勝手に親近感を覚えていまして、自分たちの力で世界一のバッターを、今度は監督として世界一にしたいと思ってました」(里崎氏)

 当時の侍ジャパンが目指したのはスモールベースボール。コツコツとつないで1点をもぎ取り、守備の力で、それを守り抜くというスタイルだった。

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