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松井秀喜「ひとりぼっちの地獄特訓」モーレツ現場 vol.2

[週刊大衆05月07・14日合併特大号]

「話はプロ入りにまでさかのぼりますが、巨人入団時の長嶋茂雄監督は、松井の新人離れしたパワーに目を細めながら、致命的な"弱点"を瞬時に見抜きました」(巨人軍担当記者)

それは股関節の固さ。

「このままではプロの変化球は打てない」
と、長嶋監督は中畑コーチ(現DeNA監督)にマンツーマンでの指導を命じた。
それからというもの、練習・試合後に中畑氏の自宅に移動し、素振りを何百回と繰り返す毎日が続き、結果、ゴジラは大きく成長していった。
95年には苦手を克服するため、身体に当たりそうな極端な内角球を打つ練習に没頭。
そして、この翌年から打撃成績は劇的に向上し
「あのシーズンオフが野球人生のターニングポイントだった」
と、後に述懐しているほどだ。

99年には、サミー・ソーサのアドバイスで、広角に打つ打法に切り替える打撃改造にチャレンジ。
こうした改造は、その後も毎年のように行なわれてきた。
自身も著書の中で
〈タイトルを獲得しようが不本意な一年に終わろうが、必ず打撃フォームに改良を加え次のシーズンに挑んでいる。現状に満足したら、後退したのと同じ〉
と語っている。

不断の努力こそが、松井というバッターを作っているのだ。
03年に海を渡った松井は、ある問題に直面する。

「彼はもともと右利きでしたが、幼少時に右であまりに打つため、ハンデとして兄らに無理やり左に転向させられた。後天的な左打者だけに、"メジャーで本塁打を打つには、左手で押しこむ力がどうしても弱い"と、トレーニングで左手を鍛えたり、箸を左手で使い、ボールも左で投げました」(スポーツ紙記者)

筋力アップにも着手し、それまで嫌っていたウエートトレも導入。
04年のオフには、見違えるほどのパワーアップを達成した。

「2カ月で、103キロから110キロとデカくなりました。体脂肪率は同じ20%でしたから、純粋に筋肉が7キロついた計算。猛特訓で手に入れた筋肉のおかげで、7年間もヤンキースの一線でプレーできたわけです」(前出・専門誌記者)

ヤンキースでのゴジラの栄光は、誰もが知るところだろう。
在籍7年間で4度の100打点越えを記録し、勝負強いバッターとして、現在でもNYのファンに記憶されている。
ピークは09年のワールドシリーズ。
第6戦では1試合で6打点を記録するなど、シリーズ通算で13打数8安打、3本塁打、8打点、打率6割1分5厘という鬼神のごとき活躍で、MVPに輝いた。
それを置き土産に、惜しまれつつNYを去った松井は、10年はエンゼルス、11年はアスレチックスでプレー。
そして12年、フリーの身の上で開幕を迎えた。

05月02日公開のvol.3に続く・・・。

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