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球界秘話"日本のエース争い"巨人澤村拓一「新時代剛腕伝説」 vol.1

[週刊大衆06月11日号]

開幕当初はもたついていたものの、GWあたりから本来の調子を取り戻しつつあるジャイアンツ。

「この原動力となっているのが投手陣です。なかでも、今年が2年目となる澤村拓一の頑張りは昨年に続き、特筆に値します」(スポーツ紙デスク)

澤村は開幕から登板3試合目の4月13日、対DeNA戦では9回を1安打無失点に抑える快投を見せ、5月に入ってからも3連勝。
「33回3分の2もの間、連続無失点を記録し、防御率1 ・40、奪三振57(5月24日現在)。杉内とエースの座を競うほどの活躍ぶりです」(前同)

彼のピッチングを、野球評論家の牛島和彦氏は次のように評する。
「ストレートが速く、緩いカーブなどのキレもいい。直球と変化球をうまく組み合わせて、独自のスタイルを年々、作りあげています」

澤村は、中央大学のエースだった頃から、剛速球投手として知られていた。
前出のデスクによれば、学生時代から彼を見続けてきた元巨人の鹿取義隆氏が、次のように語っていたという。
「ストレートの球速は、学生時代とそれほど変わってはいませんが、プロのバッターが澤村の直球に押されています。変化球が大学時代よりよくなり、使い方がうまくなったんですね」
つまり、縦のカーブやスライダーを効果的に使えるようになったことで、ストレートが、より活きてきたということだ。
「絶妙な変化球に、あの剛速球。一部には、ダルビッシュに代わる"日本のエース"になり得るのではないかともっぱらです」(前同)

澤村は、斎藤佑樹や田中将大と同じ1988年生まれの24歳。
この世代は有望な逸材が多く、"ハンカチ世代""マー君世代"などと称されている。
だが、彼は、高校時代から華やかな道を歩いてきた斎藤や田中とは大きく異なる野球人生を歩んできた。
「佐野日大高に在籍していた当時から140キロ台を投げていたものの、制球に問題があり、主に外野手として起用されていました。3年の春に一度はエースになりましたが、夏には3番手投手に降格。登板機会のないまま、地区夏の予選で敗退しました」(地元紙記者)

そんな澤村が頭角を現わし始めたのは、中央大学に進学してからのこと。
当時、中大の監督を務めていた高橋善正氏との出会いが、彼を大きく変えた。
「澤村の才能を見抜いた高橋監督は、"プロは真っすぐだけでは勝てない。決め球に変化球がないと"と、澤村にいい続けました」(前出・デスク)
それを受け、高速のフォークやスライダーを体得。
中大のエースとなった澤村は、東都大学リーグで勝ち星を重ね、ついには大学野球日本代表に選ばれるまでに成長した。

野球評論家の関本四十四氏は、高橋前監督から聞いた話として、次のような逸話を披露してくれた。
「投球フォームが狂い、悩んでいた2年生の後半から3年生にかけて、自らバーベルやダンベルなど器具を使ったトレーニングを始めたそうです。200キロを超すバーベルを担いだスクワットを、ベンチ裏のトレーニングルームでこなしていたといいます」
こうした努力の結果、4年時には、学生歴代トップの時速157キロの速球が投げられるようになった。

そして2010年のドラフト。
超目玉として注目され、単独指名で巨人入りした彼だが、1位指名が決まるまでには、ちょっとした紆余曲折もあった。
ある巨人軍関係者がいう。
「実のところ、巨人も佑ちゃん人気に惹かれ、斎藤佑樹を1位指名しようとした時期がありました。でも、最終的に"澤村でいこう"となったのは、荒削りでパワフルな澤村に、将来性があると判断したからです」

澤村に対する他球団の評価も、それほど高いものではなかったという。
「150キロ台を叩き出せるとはいえ、いわゆるキレや伸びのない"棒球"。プロでは通用しないというのが、我々の見方でした」(他球団スカウト関係者)

06月05日公開のvol.2に続く・・・。

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