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イチローと松井秀喜恩讐の200年野球人生最後のシナリオ vol.1

[週刊大衆08月20・27日合併号]

イチロー(38)がマリナーズからヤンキースへ電撃移籍し、日米球界を騒然とさせてからわずか2日後の7月25日(現地時間)、かつてヤンキースで中心打者として活躍した松井秀喜(38)が、レイズから「戦力外通告」を受けた。

松井とイチロー。同じ時代に生まれ、日米両球界を股にかけた2人のスーパースターの野球人生は、今回の一連の出来事に象徴されるように、常に微妙に絡み合ってきた。

2人の"最初の出会い"は高校時代にまで遡る。イチローが愛工大名電高校2年、松井が星稜高校1年だった90年6月、星稜高が愛工大名電高に遠征した際、2人は初めて顔を合わせている。

「イチローは、このときのことをよく覚えており、のちにテレビで放映された松井との対談番組では"(松井は)1年生のクセに真っ先に風呂に入ってきた"と、その"大物ぶり"を揶揄していました」(球界関係者)

また、松井も別のテレビ番組でイチローと共演した際、「合宿所のイチローさんの部屋に遊びに行った」と告白している。
「イチローもこれに応え、"あんまり打つなよ、と説教した。夜更かしさせて、練習試合で打たせない作戦だったんだけど、試合が雨で流れてしまった"と、振り返っています」(前同)

2人とも高校球界では、この頃から「知る人ぞ知る」存在だったが、その後、知名度、実力ともに、松井が圧倒的にイチローをリードすることになる。

「松井は4度、甲子園に出場し、甲子園で通算4本塁打。92年、高校3年夏の明徳義塾高戦では、伝説の"5打席連続敬遠"を受けるなど、"怪物"として全国的な知名度を得ました。同年秋のドラフトでは、4球団から1位指名を受け、抽選の結果、巨人に入団することになりました」(スポーツ紙デスク)

一方のイチローは高校2年夏には外野手として、高校3年春にはエースとして甲子園の土を踏んでいるが、いずれも初戦負け。
「イチローは中京地区では知られた存在でしたが、全国的な知名度はほぼゼロ。"投手としてプロでやっていくのは無理"というのが、各球団のスカウトの評価でした。ただ、"野手ならモノになる"と確信し、指名を熱心に薦めたのが、当時のオリックス・三輪田スカウトだったんです」(前同)

結局、オリックスはイチローをドラフトで指名したが、「4位」というのが当時の評価を物語っている。

「イチローはルーキーだった92年のジュニアオールスターでMVPを獲得するなど、二軍では好成績を残したものの、当時の土井正三監督以下の一軍首脳陣と指導方法が合わないこともあり、なかなか一軍に定着できませんでした」(同)

イチローより1年遅れの93年にプロ入りした松井は、ルーキーの年から11本塁打をマーク。翌94年にはレギュラーに定着し、巨人の中心選手として華々しい活躍を見せ始める。
その94年、プロ3年目を迎えたイチローも大ブレークを果たす。新たな指揮官となった仰木監督に、その素質を見抜かれた。登録名も「鈴木一朗」から「イチロー」に変わり、レギュラーに定着。いきなり当時の日本プロ野球新記録となる210安打を放ち、タイトルを総なめにしたのだ。

「しかし、全国区の人気球団である巨人で活躍する松井と、パ・リーグのオリックスのイチローとでは、同じような活躍をしてもメディアの扱いは全然違う。"自分のほうが上だ"という強烈な自負を持つイチローには、この差がどうにも我慢ならない。"松井にだけは負けたくない"という気持ちが湧き上がってくるのも当然でしょう」(スポーツ紙ベテラン記者)

08月17日公開のvol.2に続く・・・。

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